新一万円札とトランパー

 


トランパー亀三郎登場!にも書いたが、業界紙「内航新聞」に(新一万円渋沢と海運王山下)と題し寄稿した。

渋沢栄一という人物は当たり前だが凄い人、トランパーの山下亀三郎が口述した本「沈みつ浮きつ」に詳しく載っている。子供が50人いたという武勇伝もあるらしい。

亀三郎は、渋沢を初めて四国にお招きした男である。

王子の渋澤邸まで行って松山ご訪問を懇願している。神戸まで随行し、馴染の料亭で渋澤をもてなしている。どんちゃん騒ぎの好きな亀三郎はカッポレを踊ったに相違ない。

松山までは船をチャーターした。やることに卒はない。

亀三郎はかつて神戸/東京間の特急列車の展望車に陣取り、各界の重鎮を相手に酒酌み交わし親交を深めたそうである。当然、その道中でいろいろな情報を仕入れていたのであろう。

亀三郎は無学といっているが、兎に角、人たらし、人あしらいは右に出る者が居ない。帝国大学などの優等生を雇い、ヘッドトレードは当たり前だった。お客さんに用事があるとすぐに飛んで行った。フェースツーフェースがモットー、或る時は軽井沢、或る時は神戸と脱兎の如く全国を飛び回った。ノロ亀が兎になった。

しかし、渋澤が愛媛に行ったのは、恩顧ある元宇和島城主・宗城侯や娘婿の穂積陳重に縁があったからではないだろうか。

渋澤は日本資本主義の父と云われたが、亀三郎は日本資本主義の子である。

吾が母校に渋澤、穂積の石碑があるが、亀三郎と新一万円札の機縁は郷土の人には誇りに感じるであろう。

(令和元年6月3日付 内航新聞より引用)

 

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