「沈みつ浮きつ」若き人の為に(2)

  内智と外智の説昭和15年9月27日)

  亀三郎翁は、頭の良し悪しについて一家言を持っている。

 頭が好いということは、知識に富んでいる事で、本当に頭が好いという事とはチョット違うのではと仰る。

 つまり知識は専門家に聞けば得られるもの。電気の事は電気学者に聞き、科学の事は科学者、経済の事は経済学者に聞けば、その専門の知識は得られる。しかし、好い頭は人から取れない、得られないというのである。(当然の事である)

 頭の好いということは、知恵のある人というのが定説。この知識は書物からとり、雑誌からとり、人の話からもとれる。

これを翁は他智(外智)といい、自分の頭で判断することを自智(内智)といいたい、即ちこれが、頭が好いか悪いかということになる。

 翁は、会社についても、内智と外智があり、内智は自分の会社の組織、会社のやり方を一番好いものと考えて、外の組織、他の会社の長所、つまり外智を取ることを考えないのは、甚だ注意すべきという。

 大阪、神戸で相当な地位に就いた人が、東京に追々関係が出来て、東京の団体の寄合いに出てみると、どうも大阪、神戸の方が物識りで、東京の人が物を知らず、頭が好くないように見える。だが5、7年経つと今度は大阪、神戸はまるで田舎で、本当の仕事をするには東京に本拠を置かなければならない、東京でなければ真の知識を取ることが出来ないと誰もが言い出す。

 翁は十数年間よく気を付けておると、皆その例に漏れない、山下の元社員も同じで「あれは田舎者だ。あれは未だお登りさんだ」と云われる所以で非常に気を付けるべきことと思うと、語っている。

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 海事研究家の住田正一氏が「聞くもの見るもの」という著書で、山下亀三郎論の項にこう書いている。

 ~山下さんは嘗てこんな事を云った。「世の中には物識りが居る。何を聞いても知って居るという人がある。併しそんな物知りであるから人に使われるのである」

 住田曰く、山下さんは物を知らないかと云うと、決してそうではない、寧ろ知り過ぎている、何でも知っている。ただ勉強の仕方が我々と全然違う、我々は大学で習った学問、インテリ流の読んだ学問である。この人の場合は耳の学問、眼の学問である。方法は全く違っているが、勉強家であることは我々の及ぶところではない。と評している。~

 亀三郎翁は、見聞という点では、ずば抜けている。放浪時代は日本各地であらゆる職業についた。大正9年には8か月間の世界見聞の旅に出ている。

 翁は、勉強嫌いということもあったが、学校で習う学問より体験的学問の方が、生存競争の激しい実業界で生き残るために好いと考えていたのであろう。つまり頭がいいのである。

 ブロガー中学時代の同級生の中で、中学を卒業して早く世間に揉まれている連中の方が、事業で成功している。あるいは独立して店を持っている。これらの同級生は、郷里の偉人亀三郎翁のポリシー独創力を受け継いでいる。

 (住田正一とは?)

 愛媛県松山市出身、第六高等学校から東京帝国大学を卒業後、鈴木商店に入社、金子直吉の秘書となる。その後、東京都副知事を経て呉造船所社長となる。日本海運集会所は、毎年、住田正一三賞を表彰している。

 著書に海事史料叢書、廻船式目考など有り、多くの書籍を残した。息子正二はJR東日本初代社長、孫はジャパンラインに入社と記憶す。

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 (吉田町の山下亀三郎銅像・ブロガー撮影)