シネマ「トランパー」その5

シーン9
(浮沈の極み)
亀三郎は、石炭や海運で巨万の富を得た。会社の社会的信用も広がった。
この頃、日本資本主義の父と云われた「渋澤栄一」子爵から小樽の山林開発会社の話があり、大口の出資をした。株式市場の好況を背景に、この小樽木材株式会社の資本金を六百万円に増資、筆頭株主となった。実に、亀三郎の所有株の時価総額は三百万円になっていた。更に、海外にも足を延ばし、京城に倉庫会社を設立すべく横浜の財界人の間を走り回り二百万円の資金を集め「韓国倉庫会社」を創設したのだ。発起人には渋澤栄一、大橋新太郎、平沼延次郎、迫間房太郎らそうそうたる人物が名を連ねた。
しかし、この絶頂期は永く続かない。日露戦後の不況で株式市場は大暴落、「山下丸」は奈落の底に沈んだ。小樽木材株は紙くず同然になり、四十一年暮れに倒産した。共同出資の投資家・平沼延次郎は、株取引で〝買い〟に回り大きな負債をかかえ耶馬渓で、縊死したことが新聞にでた。
一方、金策に疲れ切った亀三郎の足は、いつしか鉄道線路沿いの道を歩いていた。ふらふらと線路に入ると、鉄路を枕に静かに横になってしまった。
鉄路は冷たかった、耳にはかすかに近づいてくる汽車の断続音が聞こえてくる。その音がだんだん大きくなる、ああ、まもなく俺は死ぬんだ…
その時、走馬灯の如く母の顔、郷土の山河が亀三郎の脳裏を駆け巡った。
(わあ、汽車だ、汽車が来た!!わしは何をやっとるんだあ)
バネの弾けるように、飛び起きていた。「助かった」夢から覚めたようだった
シーン10
(できない相談)日露戦後の反動で亀三郎は、ほとんど手も足も出なくなった。
ある夜、紀尾井町大倉喜八郎邸を同僚と訪問した。腹の中には救済でもしてもらいたい考えを持っていたのである。
丁度、大倉翁は食事中で「まあ、ここへ来い」と、座敷に通され、ビールを与えられた。広壮なる邸宅の二階で満月の光を浴びながら、大倉翁の境遇と、自分胸中の苦痛とを対照して、いかにも大倉翁の境遇がうらやましく
「大倉さん、私は、一生涯に一日でも、この境遇になりたいものでございます」と、亀三郎が言った。大倉翁は軽くこれに応えて、
「山下君、そういうお好みなれば、今夜、この僕の境遇を直ちにあげるよ。その代りに僕の歳と代えてくれたまえ」と、いわれたのであった。
=その時、私は四十二歳で、大倉翁は七十五、六歳の頃であったと思う。私は、この大倉翁の一言に励まされ、かつ、自分の意気地ないことに恥じて「よく分かりました」という挨拶をして、ビール一杯を呑んだだけで救済等のことなど口出しもしないで引下がった=

 奢るなよ月のまるきも只一夜 (脱仙)

亀三郎は自殺を思いとどまり、大倉翁の一言で「膽(きも)成って心靜か」という心境になった。
ここで亀三郎は心機一転「山下丸」を再び浮かび上がらせる決意をする。
「沈みつ浮きつ」激動の明治は終焉を迎えていた