宮大工 二宮長六

恩師池本覺先生から三間史談会より「泉」に寄稿したエッセイが送られてきた。「三間街道をゆく―宮大工棟梁 二宮長六を追うー」というテーマだった。

ブロガーが9月末に訪れた「清良神社」の拝殿の正面・鶴の彫り物が長六の作という。ご案内の安岡氏が言われていたようだが聞き逃していた。再度写真を確かめたが見事なものである。

社殿は文政10年(1827)に建立された。

f:id:oogatasen:20190930133547j:plain
f:id:oogatasen:20190930133546j:plain

二宮長六は吉田藩に仕えた宮大工で、池本先生は「吉田町誌」から長六の偉大な業績を記述している。

1.16歳の時、住吉神社の社殿を設計、本殿に鯉の滝登りを彫る。2.大阪の御用倉庫の改築。3.江戸藩邸の改築。4.讃岐金比羅様の社殿は長六の設計。5.吉田藩旧陣屋の大広間、玄関の改築。6.海蔵寺安藤様の廟所建立。7.安藤神社の社殿(明治6年・1873)建立。

安藤神社は長六の晩年の作と記している。

池本先生は三間にお住まいだが、三間の四国42番札所、仏木寺大師堂(現不動堂)再興は、二宮長六の手に成るものと確信している。

『新宇和島の自然と文化(二)』に、二宮長六(本家6代目)は江戸末期大工町組棟梁の家に生まれた。寺子屋で学んだほかはすべて自学自習、父親の指導を受けて大工道に精励したと書いている。

f:id:oogatasen:20191216111151j:plain
f:id:oogatasen:20191216111206j:plain