平成最後の年=令和元年 想い出


 2019年もあとわずか、今年を振り返った。

 1月、恒例の秋山好古生誕祭が松山で行われる。東京から山下家、吉田から亀三郎翁を偲ぶ会が参加。生誕祭も今年が最後と出掛けた。帰りは予讃線で高松にゆく、四国山地の山々は雪を被っている。石鎚山笹ヶ峰東赤石山と続く山脈をデジカメに収めたが列車で見ていて飽きない。高松に降りたのは何年ぶりだろう、港が素晴らしく整備されている。屋島テーブルマウンテンが目の前に見える。栗林公園は高校生の時に就職試験の帰りに寄った所。あの時試験に受かって居たら別の道を歩んでいた。

高松の地は人生の分水嶺だった。

1月15日70回目の誕生日。昔なら古来稀なりとお祝いしたのだろうが、感慨無し。

 2月は先輩三瀬さんの回想記(ジュラ紀前)吉田町の昔のくらしをブログにアップ。お祭り、亥の子など在りし日の故郷を想い出した。

 3月は吉田町図書館の冠としてその名を残している簡野道明の事を取材した。蒲田女子高「学校法人簡野育英会」へ行き孫の高道理事長に話を聞き資料を戴く。早速、偉人伝をアップした。道明は漢和辞典「字源」を数十年かけて創作した、しかも誰の助けもなく独自でやり抜いた。この独創力は「吉田三傑」に勝るとも劣らない。4月3日、道明が眠る小石川傳通院に参った。隣の墓は、徳川家康の母「於大の方」だった。

ブログ本を新年号「令和」が始まる5月に発行と決めた。

 4月26日遂にブログ本「吉田三傑2019」が出来上がった。前作に続いて2作目も随分ローカル色濃いが、望郷の念で執筆す、これしか能がないというか、外にやることがない。

 5月、宇和島での同級会にこの本を持って行った。全員が買ってくれた。1冊500円は宇和島市に豪雨の義援金として寄付する。折角の帰省なので、四万十川愛南町に行った。予土線トロッコ列車に載る、三間から山奥にかけて、寛政年間に起こった武左衛門一揆の山河に、改めて伊予吉田藩の広さを実感した。来年は「吉田騒動」をテーマに書込みする。

 愛南町(城辺)の「紫電改保存館」を見学した。敗戦直前に米軍機を迎撃した紫電改31機のうち6機が未帰還、豊後水道上空の空中戦で1機が久良湾に沈んだという。戦後引き揚げられたがパイロットは行方不明だった。

 107メートルの宇和海展望タワーに登った。久良湾のはるか向こうに高知県柏島が見える。(そうか、城辺は吉田三傑の清家吉次郎が教鞭を執っていた所だ)正岡子規「病床六尺」の第一話にでる水産補習学校は柏島にあった。それを紹介したのは清家で、子規は感激して新聞「日本」に掲載したのである。現場に行ってみてよく分かった、城辺から柏島は近い。明治35年海南新聞に投稿した「せき生」は清家吉次郎と確信したのである。

 5月は忙しかった。帰郷してすぐ横浜根岸のお寺に行った。寺のホールで坂村眞民先生を敬愛する人たちが詩の朗読や演奏会を開いた。高校先輩の娘婿がサックス奏者でホールは不思議な空間だった。「念ずれば花開く」の石碑を400カ所も訪れたというファンがいたり、恩師しんみん先生が国民的詩人ということを再認識した。

 6月横浜中華街に中学同級生が集まった。数日前に道路でつまずいて右腕を痛めたが、関西から女性群もやってくるので参加した。

 7月、田舎の親戚から「土居清良」という本が送られてきた。伊達吉田藩が出来るまえの戦国時代、隣町三間の英雄物語だった。詳しくは知らなかったが、吉田町の石城、犬尾城が序盤に出て来る。興味があったのでブログにアップした。9月22日に完結したが、土佐の侵略者、長宗我部一族のことも調べた。

暑い夏に清良伝を綴った。この頃から右腕が上がらなくなった。握力も低下している、MRI検査では2年前より頚椎が湾曲している。

 9月28日兄の七回忌で帰省、親戚らと吉田横堀で飲んだ。今度の帰省で暫くは用事もない。想えば「トランパー」出版で毎年帰省していた。平成25年兄が亡くなって十数回帰っている。

 9月30日宇和島市役所に行く。ブログ本の寄付、白井市住民の寄付などを義援金として岡原市長に渡す。その後、三間町へ同級生が車で案内してくれた。恩師に会い、庄屋毛利家を見学、清良神社に向かう。龍泉禅寺の上に清良廟がある。そこから「大森城」が望める。周りは三間の穀倉地帯である。清良神社は清良公没後33年に当たる寛文元年(1661)に徳を慕う村民達が祠を建てた。

 10月とうとう右腕が利かなくなった。箸も持てない。整形外科の先生は手術を勧める。診断書を書いてもらって東大病院で診てもらった。11月11日が手術日と決まった。若い先生は、頚椎後縦靭帯骨化症という難病と告げた。

 11月の紅葉シーズンにフェイスブックもお休み、ブログも更新不可となる。

 12月6日やっと退院した。シルバーカートを頼りに上野から電車で帰った。体重が5キロ減っていた。病院食100%の麦飯がよかったのか消化器系は快調、リハビリに十余一公園で歩行訓練の日々。

 いろいろあった1年、ブログ本2冊目を出してもう楽になったと思ったら、また更新し始めた。退院してパソコンは無理と覚悟していたが、何とかキーボードを叩ける。先ずはある財団から頼まれている「山下亀三郎 評伝」を完成させなければならない。

ああ、来年は何をしようか?やはりパソコンにかじりつく毎日なのだろう…。

2019年花のムービーを最後に、いいお年をお迎えください。

 しげる

2019 春夏秋冬