土居清良の故郷「三間町」を訪ねる(3)


三間の英雄 土居清良ムービー

清良神社、土居清良廟、龍泉禅寺

  三間町土居中の龍泉禅寺に到着し、傍の高台にある土居清良廟を訪ねた。安岡賢司氏にまた案内してもらった。苔むす坂道を少し登ると真正面に清良公の居城「大森城」が望める。海抜320m程の山の上にあり正月は皆で登り一杯やるそうだ。廟の中には立派な五輪塔が祀られている。

 廟から更に坂を上がると清良神社の裏手に出る。大きな銀杏の傍にお社が建っているが屋根瓦に三つの波の形をした家紋があり、その下に楓の紋がある。お社の上には更に屋根があり二重の造りになっている。清良神社は清良公没後33年に当たる寛文元年(1661)に徳を慕う村民達が祠を建て清良大明神として奉祀したという。

境内に力石があった。清良は子供らに大石を持ち上げさせ体を鍛えあげた。正面に下る階段は一枚石で造られている。眼下には三間の田圃や畑が広がっているが、土居家の末裔も住んでいるそうだ。400年以上も昔、この盆地で大合戦があったとは歴史の大ロマンを感ずる。龍泉禅寺に戻り、きれいに掃除された本堂で特別に清良公の位牌を見せてもらった。法号は「龍泉寺殿前吏部良山常清大居士」とある。

お寺の開け放した部屋から大森城山が見え、いい風が入る。隣は砦の様な尖った山があり松峰城というらしい。

 住職が来られお話を伺ったが、この寺は臨済宗妙心寺派でブロガーの生地吉田町には大乗寺海蔵寺、大楽寺、圓通寺、福厳寺など禅寺が多いとの事。(ここは三間の北海道といわれ涼しいでしょう、冬は雪が中々解けないよ)と中々気さくな和尚さんだった。奥さんは舞踊、詩吟、カラオケと芸達者、10月に吉田公民館で踊りの会が有り、和尚さんは初めて観に行かれると嬉しそうに話された。

和尚さんのお母さんが、昔、修行で夜中に三間から十本松峠を越えて立間の大乗寺まで歩いて行った。仏になってゆけば怖くないと、河野宗寛老師に教えを乞うたという。

 住職夫妻、安岡会長に見送られ、同級生安岡さんのお宅へ向かった。昔、金銅城(かなどうじょう)があった所で裏山に栗の木があり、大きな栗が落ちていた。金銅は予土線名駅の近くである。今回の帰省は雨の予想だったが、晴れ女・委和子さんのお陰で雨が降らず助かった。

 三間町内には四国八十八カ所参りのお寺が二つある。江戸時代は伊予吉田藩の領地で米どころ、日吉、鬼北に繋がる交通の要所だった。著名な版画家・畦地梅太郎、世界の農機具メーカー「井関農機創立者・井関邦三郎を輩出した町である。

 ブロガーは戦国武将「土居清良」を知った事で再び三間に伺ったが、この度の三間見聞は大変有意義で、暖かい人情に触れたいい時間だった。

  三間の郷釣瓶落としや大森城

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