著書『吉田三傑2019』で感じたこと

 今日は令和元年10月22日「即位礼正殿の儀」が行われ国民の祝日である。即位に伴う祝賀パレードは、台風19号の被害に配慮し延期された。

 早いもので、令和になって半年になろうとしている。

令和の発足に際し5月1日『吉田三傑2019』~吉田町の歴史と文化~を出版した。

代金の一部(500円/冊)とブロガーの地元からの支援金を合せて9月30日宇和島市に豪雨災害義援金として寄付した。

 6月のある日、ブログ本を買って頂いた地元高齢者クラブの大久保氏から手紙を頂戴した。

 内容は、ジュラ紀前(吉田町昔の暮らし)を書かれた三瀬教利氏の事と、『字源』を著した簡野道明物語の事である。

何と、大久保氏は昭和38年大阪大学工学部精密工学科卒業で、三瀬教利氏の5年後輩である。氏の手紙には、三瀬氏は理学部化学科卒業で、当時の大阪大学はタコ足大学と云われていて、理学部・医学部は中之島、工学部は東野田、教養部・文系学部は豊中と方々に散らばっていたと書かれている。

更に手紙には(同窓会誌60周年特集号)の中から“理学部化学科昭和33年卒・同級生交歓”ページのコピーが入っていた。その中に三瀬氏のコメントが載っているので引用させて頂く。

「法・規ではなく、人格重視、自由平等が基本。自由気ままな同級会を重ねるうちに改めて、阪大がまさにその土壌をいろ濃く持っていたことに誇りを感じています」とある。

 大久保氏が感想を述べられている、(三瀬さんは、現役時代武田薬品で数十件もの特許を取られ常務取締役まで登り詰められた超優秀な技術者だったようです。郷里吉田に愛着を持たれ、文章も大変達者な方のようですね)

 もう一つの簡野道明については、原文のままでアップさせて頂きます。

「もう一方の簡野道明さん、このお名前には懐かしい思い出があります。徳之島を離れ鹿児島市内で下宿しながら高校に通い始めた昭和30年の春頃、漢文の授業が始まって漢和辞典が欲しいと思った時本屋で見つけたのが簡野道明著 “字源”(角川書店)でした。同じ頃にこれは発行されたばかりの新国語辞典初版“広辞苑”(岩波書店)と揃いで欲しくて仕方無かったのですが、両方となると殆ど当時の下宿代(遠縁の親戚でしたが)一ヶ月分になるので悩みました。夏休みに島に帰って父親に恐る恐る切り出すと“下宿先が休み中の下宿代を免除してくれるならその分で買っても良い”との事、8月末に鹿児島で下宿の小母さんに伺って一ヶ月分の宿代を免除してもらい早速本屋で2冊同時に手に入れました。まさに嬉しくて天にも登る気分、暫くは寝るときも枕元に2冊並べて置いていました。もっと小ぶりで安い辞典も有った筈なのに調べたり比べたりした記憶もありません」

手紙の最後に、四国伊予吉田の闘牛の話、坂村眞民さんのこと、三瀬さんに簡野道明さん達の事が遥か南の小さな島出身の私にも拘ってくるのですね。これからも4冊目、5冊目の“吉田物語”を期待しています。と記されていた。

 

 ブログ本は200部発行したが、在庫は少なくなった。読後の感想はいろいろな方から寄せらたが、このような有難い評価はありません。流石にインテリの大久保さんです、有難う御座いました。ブロガーにとって『吉田三傑2019』~想いのまま記~を始めるきっかけとなり、3冊目の出版に向けて背中を押された感じです。

 先日、宇和島郷土史家から『明治維新宇和島 宇和島の人物』という本が贈られてきた。山下亀三郎簡野道明の写真もあるが、宇和島には幕末の四賢侯伊達宗城穂積陳重、児島惟謙、井関農機創設者・井関邦三郎等々枚挙にいとまがない。

またブログのネタが現れ休む閑がありません。

 

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