簡野道明は伊予吉田の偉人 9

死ぬまで執筆に専念

 

フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』に道明の人物が記されている。

=戦前の中等教育の漢文教育の権威であり、彼の編纂した教材は多くの中学校などで使用された。高見順の作品「わが胸の底のここには」、加藤周一の回想記『羊の歌』には、簡野の教材が使用された記述がみえる(いずれも府立一中である)。=

 ブロガーは早速、「羊の歌」をネット注文した。

加藤周一(1919東京生まれ)が1968(昭43)年、岩波書店から出版したご自分の半生記で、朝日ジャーナルに連載したもの。道明の記述は(空白五年)の項にあり、加藤が東京府立第一中学校(現日比谷高校)授業の話である。

 

……また白髮の漢文の教師はもっと正直だった。「これから論語を読むが」といいながら、「これは諸君などにわかる本ではごわせん」と宣言した。そして一行読む毎に、私たちにはほとんど全く通じない感想をいつまでも独言のように喋っていた。「この字を簡野はこういって居るが、簡野などにわかることではごわせん」。

——―しかし簡野道明にわからぬことが私たちにわかるはずはなかった。碁の研究が殊にさかんに行われていたのも、その漢文の授業の最中であった。子供には「どうせわからぬ」と確信していた老人は、私語さえしなければ、生徒が何をしていようと一切構わなかった。……

 というくだりであるが、戦前のほとんどの旧制中学校が簡野道明の本を漢文の教科書として使っていたことが判る。

 

 道明は、85種類の漢文教科書を編集し、21種類の注釈書を出し、近代漢文教育のパイオニアと称されている。旧蔵書の総ては郷里・宇和島市吉田町「簡野道明記念吉田図書館」にある。

 

 道明は大正12年「字源」を出した後も、執筆に励んだ。

60歳、大正13年1924年)「老子解義」を出す。定価4円20銭 送本料18銭。発行所明治書院の広告に「老子解義」の説明がある。「老子」は文辭深奥、古来最も難解の書と称せらる。簡野先生多年研鑽の餘、丁寧深切、平易明快な解説を施され、何人にも容易に老子哲学の真髄を会得せしむべき本書を大成された。

大正14年(1925年)「孟子解義」を出す。

昭和元年(1926年)「補注学庸章句」を出す。

昭和2年(1927年)「歴代文鈔」「歴代詩鈔」等を出す。

昭和3年(1928年)「大学解義」「詩子文枠」「左伝文枠」を出す。

昭和4年(1929年)「唐詩選詳説全二冊」「校註唐詩選」「史記文粋」を出す。

昭和5年(1930年)「中庸解義」を出す。定価2円30銭

昭和6年(1931年)「補註古文真宝集」「通鑑文粋」「言志四録鈔」を出す。

昭和7年(1932年)「補註文章規範」を出す。

昭和8年(1933年)「白詩新釈」「補註古文真宝前集」を出す。「十八史略新解」を校閲する。

70歳、昭和9年(1934年)「孟子新解」「和漢朗詠集新解」「日本外史新解」などを校閲する。

昭和10年(1935年)「補註小学」を出す。「論語新解」を校閲する。

昭和11年(1936年)「古文真宝枠」「唐宗八家文鈔」を出す。

「真註言志四録」「和漢朗吟詩集」を校閲する。

73歳、昭和12年(1937年)「新修漢文」「師範漢文」「新修女子漢文」「新修女子漢文抄」等の新制版を出す。病中校正に従う。

 

 昭和13年(1938年)2月11日、羽田「間雲荘」で没する。享年74歳。小石川伝通院に葬る 法名源徳院間雲虚舟居士と言う。

 没後、昭和14年2月遺稿「虚舟師存」が出る。  

昭和15年2月「虚舟追想録」が出る。

 

 堀田馨・吉田町立図書館長の「簡野道明先生小伝」=簡野先生と図書館=によれば、

 昭和14年、信衛夫人は、故先生の追善の為に、金一万円を図書館建設資金として、更に編さんされた教科書及び著書の全部を吉田町に寄贈された。

 昭和16年、簡野夫人の寄附行為により、村井愛郷会立・簡野道明先生記念吉田図書館が設立される。

昭和25年(1950年)図書館法により簡野道明先生記念吉田町立図書館となる。

昭和39年 (1964年)吉田町役場に移転される。

昭和48年 (1973年)吉田中央公民館に移転される。

昭和61年 (1986年)図書館新築に伴い吉田町立図書館と改称し、御殿内に移転される。

昭和62年(1987年)12月11日簡野道明先生50回忌を執り行う。

(於・大信寺、顕彰会主催・史談会後援)

平成元年(1989年)図書館前庭に「清・愼・勤」の顕彰碑が建つ。

 と、記されている。

 

「簡野育英会」HPに座右の銘「清・慎・勤」が紹介されている。

 学祖 簡野道明先生の座右の銘です。これについて道明先生は、書の中で「右の三文字は、中国の思想家 呂本中が役人の守るべき道とされたものである。されば、この三つの徳の力は、広大なものがあるから、すべての人が、この言葉を旨としておのれへの命をよく奉じ、つねにこの精神にしっかり拠るべきである。そうすれば官界は至極おだやかなものになろう」と書かれています。

 呂本中は役人の心構えを説いたものですが、道明先生は広く世のために尽くす者の心構えとして、この三文字をご自身の座右の銘として心掛けていたようです。

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 (道明自筆の書/蒲田女子高校で撮影)