「簡野道明」は伊予吉田の偉人  1

蒲田女子高等学校を訪問

 東京は京浜急行空港線糀谷駅の近くに「学校法人簡野育英会」がある。学祖・簡野道明の遺志を継いだ信衛夫人が、昭和16年「蒲田高等女学校」を設立した。今では蒲田女子高等学校、蒲田保育専門学校として女子教育、幼児教育を行っている。ほかにも幼稚園、保育園の経営もされ、簡野道明翁の孫である簡野高道氏が理事長として務めている。

 今日、愛郷家・河野哲夫氏の紹介で同校を訪問し、簡野高道理事長と面談した。理事長は2010年、吉田町など道明翁ゆかりの地に来られている。いろいろ有意義なお話を聞いた後、校庭に出て学祖・道明翁、学校創立者信衛夫人の胸像を拝見した。 

 ブロガーは平成の始め、吉田町に帰省した時、国道56線沿いに重厚な建物があるのに気が付いた。昭和61年に建設された「簡野道明記念吉田図書館」だった。京都の二条城を模した豪華な構えで驚いた。以前から図書館の冠「簡野道明」という人を調べて見たかった。

 簡野道明は、江戸八丁堀の伊予吉田藩士の家に生まれ、明治維新により5歳の時、吉田町に帰った。頭脳明晰で少年の頃から漢詩を書いていた。やがて漢学者、教育者となり漢和辞典「字源」を著す。着想から20数年かけ独力で完成したというが、大正12年初版以降、大学関係や学者が買い求め、70年後の平成初期には300版という超ロングベストセラーとなった。今後も名著は漢学研究者など必須の書として重版されると云われている。

 昨年ネット販売で「字源」を注文すると、昭和60年1月20日発行・第298版の本が届いた。分厚い本の中から何と「四葉のクローバー」が5,6葉出て来た。前の持主が押し花として差し込んだものと思われる。未だその恩恵(幸運)には預かっていないが…

 道明翁は東京女子師範学校(現お茶の水女子大)に在職中の35歳頃から漢文等に関する著書を多数出版した。戦前の旧制中学では道明翁の本が8割方、漢文教科書として使われたという。

 ブロガーは、「吉田三傑」と同時代に生きた簡野道明という偉人を知らなかった。郷里の偉人たちをネットで紹介する者として、忸怩たるものがあり、今後いろいろな情報を基にブログにアップしたい。高道理事長にもご了解を頂いた。

 

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(字源・四つ葉のクローバー) (道明翁胸像の前で)