「トランパー」出版まであと100日(第一次世界大戦考2)

【お知らせ】
ペンネーム「宮本しげる」は単行本「トランパー」を
2016年1月15日に愛媛新聞サービスセンターより発行します

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黒田英雄氏「世界海運史」のつづき
「ドイツ潜航艇の無制限撃沈と普通海難による喪失を加えれば、約千二百万GTの船舶が失われ、また徴用によって一般海運界から撒退した連合国側船舶は約千五百万GT、合計二千七百万GTの船舶が世界通商界より脱退した。これに対し同期間の世界造船高は六百八十万GTであり、各国ともに貿易上国家経済上大きな影響をこうむった。このような現象は、船価・運賃・傭船料に明瞭に反映した。例えば、戦前一トン一円を採算相場とした門司〜横浜石炭運賃は、大正六年秋十円を突破し、傭船料も戦前大型船で一円五十銭程度のものが、内田汽船のフランス政府に貸船したものは実に五十円の高率であり、船価も戦前の一トン八十円程度から最高一千円の声を聞いた。当時設立したある会社の目論見書には、一千GT型木造船一隻で一年間に三十万円、の利益をあげる計算であった。かくて各船主は、一朝目醒めては大富豪となり、徒手空拳のブローカー、風雲を望んで出動したにわか船主等の船成金が続出し、その勢いは全国を圧した」と記されている。

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第一次世界大戦の開戦時には、この戦争はクリスマスには終わると楽観視されていた。しかし、機関銃や航空機、戦車など新しい大量殺りく兵器の出現や、戦線の全世界への拡大で、予想もしなかった未曾有の犠牲をもって大正七年(一九一八)ようやく終了した。戦闘員の戦死者は九百万人、非戦闘員の死者は一千万人、負傷者は二千二百万人と推定されている。
この大戦で山下汽船の船2隻も撃沈された。だが、幸いにも乗組員は2隻とも全員救助された。しかも全損となった船はロイド社により戦時保険で填補された。
日本国内には、この大戦バブルで各種成金が続出した。一部の船成金の醜態が学校の教科書に載るほど、船会社に巨額の富をもたらした。
山下汽船の亀三郎は、内田汽船の内田信也、勝田汽船の勝田銀次郎とともに「大正三大船成金」として歴史に名を残した。
一句
いにしえの海のいくさや枯れ尾花