「トランパー」出版まであと102日(第一次世界大戦考1)

【お知らせ】
ペンネーム「宮本しげる」は単行本「トランパー」を
2016年1月15日、愛媛新聞サービスセンターより発行します

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わがジャパンラインの先輩黒田英雄氏が著作した「世界海運史」をひもとくと
「日本は日英同盟に従って参戦、まず青島を攻略するため陸海軍御用船八十二隻二十六万五千総トンが徴用された。宜戦布告に先んじて青島を脱出したドイツ軍艦数隻は、インド・南洋・ヨーロッパに跳梁、特に巡洋艦エムデン号は、インド洋に神出鬼没して日本船舶に甚だしい脅威を与えた。戦乱は日を追って拡大し、連合国・中立国の船舶は続々軍用に徴されて通商界より退き、独艦に撃沈されるものも益々増加した。各国の造船能力は、軍用に全力を挙げて商船建造の余裕なく、世界船腹需給は均衡を失してその影響は日本にも波及した。
市況のバロメーターであった門司〜横浜の石炭運賃は、大正三年末六十五銭から四年二月一円二十銭に急騰した。東洋の外国船は相次いで本国ヨーロッパに引き返し、さらに大正四年一月頃から外国船主の日本船傭船が始まり、社外船は続々ヨーロッパへ出動した。
このような情勢によって造船発注量が急増し、大正四年には五十隻に達した。戦争の除幕というべき期問においても社外船の活躍は特に目覚しく、設立早々の内田汽船は、大正四年後半期に六十割の配当を発表して一世を驚倒させた。
大正四年、ドイツは潜航艇戦を展開、このため四年の被害船舶総数は百七十二万GT(日本 五 隻二万八千百八十一GT)、五年(一九一六) 二百七十九万GT (日本 五 隻一万六千七十二GT)を算し、船舶の欠乏はいよいよ甚だしくなった。その結果、軍需・民需品の輸送に大きな支障を来たし、一面連合国援助のための対欧輸出貿易も繁忙を極め、日本の海運、造船界は異常な熱気をはらんだ。日本郵船、大阪商船初め、定期船会社の航路拡張も著しく、社外船の活躍もまた飛躍的であった。
大正六年(一九一七)二月、ドイツは無制限商船撃沈を宣言、手当り次第に各国の商船を襲い、六年中に被撃沈船六百六十二万GTを数え、日本も一五隻、五万五千九百十五GTの被害があった。地中海、北大西洋方面への危険激化に伴って保険料が暴騰した。
四月には、アメリカが参戦し、大西洋方面に莫大な軍用船を必要とするため、太平洋方面の英米船舶は挙げて本国に引き挙げ、日本船がこれに代わって太平洋を独占、船舶需要急増し、海運界は沸騰点に達した。日本の造船業も空前の繁栄を呼び、既設造船所の拡張、船主の造船所経営、木造船の大流行に伴う全国各地の造船所急設等が見られたが、世界的な船腹欠乏をもとより如何ともなし得なかった。」
と記されている。