「トランパー」出版まであと6日(伊予吉田のまつり・トランパー予告編 最終回)

 「トランパー」ー伊予吉田の海運偉人伝ーのブログ版は予告編としては
  永く67回に亘ったが、これにて一件落着、ムービーで総集編を見てください
  1月15日付けで新刊本「トランパー」が愛媛新聞社から発行されます
        ≪四六判総頁408ページ 定価1,500円+税≫
        乞う、ご期待!! 著者:宮本しげる


  


平成二十六年十月四日「セレモニーホール吉田」において山下亀三郎翁七十年、清家吉次郎翁八十年の合同祭が執り行われた。
ホールには「吉田丸」のモデルシップが飾られた。船体は純銀製でブリッジは金製である。今では創作する職人がいないという。
 来賓は百名余りで、海運関係者は各地から駆けつけ亀三郎の遺徳をしのんだ。山下学校門下であった石原潔の子息・石原慎太郎氏からの電文も披露された。
最後に、亀三郎の孫、山下眞一郎が、戦時中の第一吉田丸戦没の話、外航海運の合従連衡で「山下」の名は消え商船三井になったが、亀三郎が果たした世界のトランパー第一人者の座は、後進が堅持しているというスピーチがあった。
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 吉田町には、三百五十年連綿と続く「吉田秋祭り」がある。寛文四年(一六六四)に初代藩主・伊達宗純公の一声で始まった。
吉田祭りが歌に詠まれている。
歌人・野口雨情  (吉田千軒八幡さまの秋の祭りは鹿をどり)
俳人河東碧梧桐 (牛鬼が群れてなだれて尾を角を)
俳人・井上土筆  (鹿踊り舞ふまなかひに柿熟るる)

 ああ、夢か、まぼろしか……。
伊達の殿様宗純公が、お練りの先導で吉田の町並みをゆく。そのあとには亀三郎がカッポレを踊り、喜佐雄は練唄を謡いながらゾロゾロついてゆく。横堀広場では牛鬼があばれ、かくして吉田のお祭りは、かすみの彼方に消えてゆく……。
祭りが終わり、やがて街には「亥の子唄」が、聞こえてくる。

  鳴る風に灯をふやしけり亥の子宿(土筆句)
                               

(吉田公民館・牛鬼の幕)

(珍しい吉田三傑が揃った写真)
右1清家吉次郎、右4村井保固、右5山下亀三郎

(吉田丸・モデルシップ)