がいな男  31  軍部の横暴期

 がいな男は「人たらし」の術を永年の体験で身につけていた。料亭接待のほかに、神戸/東京の出張の時にも、東海道線の一等展望車に陣取り、酒を飲みながら政財界人と歓談し情報を仕入れた。

 日銀総裁井上準之助とも列車に揺られながら杯を重ねたのであろう。井上は九州日田の造り酒屋の息子で、酒には明るい。がいな男は灘の醸造元・辰馬酒造の「天下の白鹿」を持ち込んで吞んでいる。話に花が咲かないわけはない。亀三郎はゴルフはやらないが、井上は日銀ニューヨークに駐在していた頃、「吉田三傑」村井保固のポン友・新井領一郎にゴルフを教わった。日本に帰った井上はゴルフの普及に努め『東京ゴルフ倶楽部』の設立者の一人となっている。

 昭和6年12月村井保固の学友・犬養毅内閣総理大臣となった。昭和7年は明けて早々テロ事件が続発した。満州事変の頃から軍部が台頭していたが、次第に横暴期へと進んでいくのである。

内航海運新聞 2022/9/12