アイクと呼ばれた男 (14)定期航路とタンカー

 飯野逸平は、伊予吉田町生まれ、明治37年宇和島中学を卒業後、村井保固の紹介で森村組に入社した。大正元年からニューヨーク支店へ赴任、村井の下で働いた。村井の後任として太平洋を33回往復し、自らを「太平洋の蟻」と称した。
 最後の航海を記念して、    一句 トランクの蟻太平洋を横断す
 昭和34年15年ぶりに帰省して、 一句 蜜柑山又蜜柑山立間村    

 日本陶器の社長を退任後は、名古屋港審議会の委員として名古屋港のまとめ役となり、名古屋港の発展に尽くした。
 大正期、吉田病院建築には、山下亀三郎、村井保固らと共に百円を寄付した。また村井保固愛郷会の会長として村井幼稚園などに多額の寄付をする篤志家だった。

出典:(太平洋の蟻 : 故飯野逸平翁を偲ぶ) 貿易之日本社

(日章丸)三菱重工横浜船渠で建造、昭和13年11月29日竣工
優秀船建造助成施設法の適用を受け建造された
公試運転で19.6ノットを記録、船価340万円
昭和17年2月海軍に徴用された。

 

内航海運新聞 2023/6/26