がいな男 (50/最終回)銅像建つ

 がいな男もとうとう最終回となった。昨年1月31日月曜日に、第1回目が掲載されたが、その後、4月6日から当ブログにコメントを補足してアップした。近日中に50回分をまとめた小冊子を制作しようと思う。
 昭和35年11月3日の銅像除幕式で、宇和島市長中川千代治が祝辞を述べた。
昭和13年、病に倒れた初代宇和島市長の山村豊次郎と山下亀三郎の電信の往復について触れている。
 ・・・9月19日、山下翁より「おーい山村君、約束通り来月25日を待て、シッカリせよ、国家の大事を控え、今、東京より離れられぬ、シッカリせよ山村君」
山村氏より「今日までのご好意感謝の外ない、今や力尽き仏とならんとす、もはや決別の話を交わす機会なきを遺憾とす、積年の友情感謝に堪えず、あとをよろしく頼む」
山下翁より「見た、我れ今諏訪神社に祈願している、心を静かにして待て、栄氏のことなど安心せよ」
同日午後5時、山下翁よりさらに激励電報あり、
「父母兄妹は天の自然にして限りあり、夫婦と友情は無限にして深さを知るべからず、これ今夜徹夜して心、君の枕頭にある所以なり、仏界は我等最後の都なり、まず病魔を征服せよ、而して悟りを開け、親しく君の手を握る、待てよ」・・・
 中川市長は(死を目前にして盟友を励ます、人間山下亀三郎氏の類いなき人間味は肺腑をつくものがある)と語っている。

 平成26年10月4日、山下亀三郎翁70年、清家吉次郎翁80年の合同祭が執り行われた。当時、次世代の党・最高顧問だった石原慎太郎氏の電報が拝読された。
(清家吉次郎翁は、教育者から政界に入られ、昭和5年、7年と衆議院議員に当選され5・15事件直後の臨時国会では、荒木陸相に粛軍につき質問されたことで有名であります。私はここに政治家としての覚悟を見るのであります。山下亀三郎翁は、明治44年山下汽船合名会社を設立。ロンドン、シドニーにも支店を置く大会社に発展させられ、日本国の発展にも力を尽くされました。八幡浜出身の私の父が勤務した会社でもあり、私はなつかしさと親しみを感じるものであります。また皆様のように国家に貢献した郷土の先業の業績を敬仰し、合同祭を挙行されることにも敬意を表し、ますます吉田町発展に力を尽くされますよう祈念してメッセージとします)
 吉田町桜橋のたもとに立つがいな男の銅像はいつも吉田町民を見つめている。(完)

内航海運新聞 2023/2/20

 

山下亀三郎銅像