がいな男(38)一千万円を寄付(39)山水育英会

 がいな男は陸海軍へ1,000万円の寄付をした。米一表が12円90銭、ビール大瓶が45銭の時代、現在の価値にすると約850倍となる。当時、1万トン級貨物船が10隻ほど建造できる巨額をポンと寄付したという。現在の桐朋学園の沿革には(昭和15年山下汽船の山下亀三郎氏の寄付により軍人軍属子弟子女の教育を目指して山水育英会が設立された)と、必ずがいな男の名前が出てくる。平成28年桐朋女子中高等学校・新聞部発行の「山みず」山水誕生秘話には(本校が激動の20世紀を経て現在まで戦争を経験しながらも創立75周年を迎えることが出来たのは、背景に山下亀三郎という人物の存在があったからだ)と記されている。

 山水育英会は東京と大阪に5年制の学校を3校創立し、昭和17年4月、満州・牡丹江市にも星輝中学校を創った。牡丹江市はソ連国境に近く日本軍の最前線だった。学校は軍隊色が強く、教員は軍司令部の将校、帝大卒の見習士官で教育レベルが高かった。しかし昭和20年8月ソ連軍の侵攻で生徒たちは壮絶な体験をする。

 昭和52年7月の中日新聞に「幻の中学 同窓生にやっと戦後」という記事が出た。太平洋戦争で消えた星輝中学校の同窓生たちが、名古屋駅前の旅館で32年ぶりに卒業式をする、というものだった。「卒業証書授与式」に約100名の同窓生が集まった。
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 桐朋学園はがいな男の故郷「宇和島市」で演奏会を3年前から予定しているが、コロナ禍で実現していない。下の山下亀三郎の写真は桐朋学園の理事長から頂いたものである。

内航海運新聞 2022/10/31

内航海運新聞 2022/11/7

桐朋学園所蔵)