がいな男 (2)放蕩息子
がいな男(山下亀三郎物語)を内航新聞に寄稿するタイミングに、「内航海運暫定措置事」という規制制度が終わった。ブロガー入社は昭和42年、そのころ「船腹調整規程」が始まった。スクラップ&ビルドという条件が課せられ船の建造に足かせが付いた。それから55年経ち、やっと内航は「海運フリー」となった。
規制緩和でビジネスが変わる。内航海運もイノベーションへの期待が大きい。
がいな男/山下亀三郎が船を持ったのは明治36年で、青雲の志(ベンチャー精神)旺盛な若者が大きな夢を持つ時代だった。
さて、がいな男は明治15年、故郷を出て世間の風(Against)に立ち向かう。
「海運王」と呼ばれるのは、ずっと後のことである。