吉田名所大観(昭和19年)吉田港、町人町の絵
5月の同級会に幹事が古い資料を配った。この「吉田名所大観」は吉田町商工会が作った観光鳥瞰図で昭和19年頃の吉田町と思われる。吉田港の港湾設備、船舶が凄い。桟橋が二つある、2本デリックの貨物船が2,3隻が着桟しているのが見える。汽船待合所があるので、貨客船か?宇和島、御荘、宿毛行きと有るので昔は土佐まで定期船が運航されていたということか。吉田町が海運大国だったとはこの絵で分る。小船がたくさん見えるのは魚市場があるからか。宇和蜜柑組合があるので周辺のミカン産地から小舟で運んで貨物船に積み替えるのだろう。港の喧騒が感じられる。
知永の先に海水浴場があるがレーターの浜か?左の町人町を見ると、今はない自動車営業所、金光教会、かささぎ楼、闘牛場も画いている。浜通りの雁木がある場所に屋形舟が繋がれている。長栄橋の下をくぐれるのだろうか?
吉田大観に説明文がある「吉田町は由来南海の文化街と称され各種の設備が完備され…交通運輸の途拓け海上は阪神瀬戸内海九州土佐方面とも毎日数回汽船の定期便があり。最近竣成したる築港と大桟橋は吉田関門の面目を一新し云々」とある。
野口雨情はよく吉田に来たという
こひしよしだへくろのせとうげ
いくよなみだでこしたやら
吉井勇は
いそのかみふりしやなみを
なつかしみよしだのまちに
いくよねにけむ
と詠んだ。