簡野道明は伊予吉田の偉人  6

間雲荘と徳富蘇峰

 

 道明は、終生の大著である漢和字典『字源』を着想から20余年、大正12(1923)年、59歳のとき間雲荘で完成した。

 蒲田女子高校の第3代校長・田波又男が(1962年就任)「簡野道明先生と間雲荘」と題して著作したものを簡野高道理事長から入手した。

……この間、理事長先生から道明先生漢詩集『虚舟詩存』をお借りして拝読した。先生は経学の研究が本体で漢詩は余技であると言われ、生前はおりにふれ時に望んで多くの漢詩を作られたが、発表されず他界された。先生没後一年を経て、佐藤文四郎先生が編集されたのが『虚舟詩存』として残された貴重な漢詩集である。

 その中に間雲荘を詠まれた漢詩が十数詩ある。道明先生年譜を見ると「大正十一年壬戌五十八歳『補註孟子集註』成る。此歳築一草堂干羽田萩中六郷河畔爲讀書之處命曰間雲荘爾後及長逝大率居焉」とある。

先生はこの地をこよなく愛し、多くの名著を作られた。

私の生まれた明治三十四年、先生は三十七歳で『中等漢文読本』全十冊を完成された。(中略)

 学校建設の前は庭園広く菖蒲池あり、松林あり、果樹園あり、びわ、桃の木が植えられてあった。現在は松の木が数本残っているだけだ。あとは附近の学校に寄贈されたという。これも戦災でほとんど焼失されたものと思う。このほか初代理事長信衛先生は、こよなく竹を愛し、号を有竹と称したほどである。本校の同窓会を有竹会と名づけたのもかかるゆえんである。

当時間雲荘には各種の珍しい竹が植えられたが、今は種類も少なくわずか「矢竹」が数株残っているくらいである。竹を詠んだ漢詩に「園中花灼灼風雨忽摧残我愛窗前竹猗掎傲歳寒」と竹を称えている。

なお本校の創立記念日が六月十四日とあるので理事長先生にお聞きしたところ、毎年その頃天下の文人墨客をお招きして園遊会を催したのでそれを記念して定めたとのことである。その当時招待された客の一人として徳富蘇峰先生が道明先生の胸像の銘を作られた。原文は漢文であるがこれを訳すと次の通りである。

 

 先生は簡野氏、諱は道明、號は虚舟、世々伊豫吉田藩に仕へ、幼くして學を好み、業を先君子に受く。年甫十八、郷學の教職に任ず。年二十八、慨然として東都に遊學し篤學を以て顯はる。後に女子高等師範學校教授と為りて令名有り。年五十有餘にして感ずる所有りて職を辭して居を羽根山間雲莊に卜し、専ら力を撰述に肆(ほしいまま)にす。昭和戊寅二月疾に罹りて没す。亨年七十四。先生は資性堅剛、耿介苛しくも世と俯仰せず。精敏彊記諸子百家博く渉らざる莫し。最も古今の典故に精し。兀兀として鉛槧を事とし、老に到りて倦まず。一篇を出づる毎に脛無くして走ること千里、到富渠萬、自ら處して晏如たり。恂恂如たる老書生。平生它の嗜好無く (して)只遊歴(する)のみ。興来れば小酌詠吟、自ら楽しみて詩人為るを屑よしとせず。始終只だ學を好み疾劇しくも枕頭尚ほ朱墨を用ひて研鑽を事とす。亦、其の養の素有るを知るべきなり。銘に曰く、

讀書萬卷 著作等身

志名教に存し 其の道泯びず

昭和辛已歳仲春 友人 蘇峰徳富正敬 撰

 

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簡野育英会のHPに学園紹介エピソードのページがある。

 

道明・信衛先生胸像と銘

  現在の間雲荘には、学祖 道明先生、創立者信衛先生の胸像が据えられています。

 学祖 道明先生の胸像は、その偉業を称えるために、簡野家の遠縁にあたる彫刻家 柴田佳石先生(本名 簡野福四郎)によって制作されました。佳石先生は、日展に委嘱出品を続け、後に慶應義塾大学三田キャンパスの『福澤諭吉胸像』の作者としても知られています。

 また、かねてから親交のあった歴史家 徳富蘇峰先生が、道明先生の胸像の銘を作られました。昭和41(1966)年の創立25周年に際し、創立者 信衛先生の胸像が、同じく柴田佳石先生の手により完成され、同年11月5日、間雲荘で生徒代表も参加して、除幕式が行われました。これにより学園の聖地 間雲荘に学祖・創立者先生をお迎えすることができ、ご夫婦が揃って本学園の教育活動を見守り続けておられます。 

 間雲荘には現在でも枇杷の木が残っており、毎年6月には実がたわわに実ります。また当時は大小色とりどりの菖蒲が咲く見事な心字池がありました。毎年6月14日前後には、多くの客を招き「園遊会(別名・枇杷会)」が開かれていました。会は数日間にわたり開催され、延べ500人が出入りする大々的な催事でした。雑誌『国民之友』発行に携わった歴史家 徳富蘇峰先生(作家徳富蘆花の兄)を始め著名人から近隣の方まで、多くの来客が押し寄せ楽しんだといわれています。この会の開催は、道明先生の「社会への還元」のご意向が大きく反映されています。日頃は『字源』をはじめとする多くの著述に専念するために、門を閉じ客を謝していたので、この園遊会が間雲荘に人が集まる年にただ一度の機会でもありました。先生はこれを何よりの楽しみとされ、心の限りのおもてなしをされたと言われています。

 この枇杷の実が熟し、菖蒲の花が咲く時期の園遊会を記念して、毎年6月14日が本学園の創立記念日となっています。

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 徳富蘇峰は、山下亀三郎物語『トランパー』でも度々登場した。蘇峰は道明が催す園遊会に度々出席しているはず、その折、同郷の亀三郎について会話を交わしていると考えるが、文人墨客が集まる所では、政商と云われた亀三郎は門外漢だったのだろうか。

 ブロガーは3月11日、簡野高道理事長を訪ねた。庭に御案内され簡野道明翁、信衛夫人の銅像を見せてもらった。蘇峰の銘を刻んだ石碑は古くなり、殆ど読めなかった。今では幼稚園児らが銅像の周りで遊ぶいい空間となっている。

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(ブロガー撮影:蒲田女子高校校庭)