信州須坂の旅

小林朝治画伯の版画を見たくて長野須坂に行った
昭和6年愛媛の吉田病院眼科医長を辞めて
帰郷した朝治は地元で眼科病院を開業した
伊予吉田では4年間に56景の版画、詞を残した)
彼は版画同人誌「櫟」くぬぎを発行…木を楽しむという趣旨
創作版画運動を行い「朝治コレクション」2000点もの版画を寄贈した
昭和11年にはベルリンオリンピックに芸術部門で参加
「スキー」「スケート」の2点が日本郵船貨客船「照国丸」で横浜港からベルリンに運ばれた
しかし彼は41歳の若さで亡くなった、『吉田風物畫帖』は郷里の大いなる遺産となった
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須坂の桜は満開だった、今年は2回目の花見となった
臥龍公園の桜は日本のさくら100選になっているそうだ

一句
須坂にて朝治桜の散るを見る
https://www.youtube.com/watch?v=nA13XetFric

(スケート 1936/木版)須坂版画美術館パンフレットより引用