小林朝治生誕地 信州須坂を訪ねる 3

朝治が伊予吉田から信州へ帰郷したのは昭和6年7月、須坂町で眼科医を開業した。
木版画の創作意欲満々で展覧会の開催や十人会を結成するなど文化事業を企画した。
昭和8年版画同人誌「櫟」くぬぎ(木を楽しむという趣旨)を創刊、昭和14年8月に亡くなるまで発行人として出版していたが、戦後仲間が意志を継ぎ今でも約80年にわたり延々と続けられているという。写真の版画集「白と黒」の表紙は伊予吉田の秋祭り「牛鬼」をモチーフにしているようだ。
朝治は地元信州の風景、特に山が描かれた版画を創作し数々の展覧会で入選を果たしている。
その外に信濃郷土玩具版画集(昭和10年「七夕の奴提灯」、「国分寺の大黒天槌」、「大当たり達磨」など)、北陸郷土玩具版画集(昭和11年佐渡獅子頭」、「三条の六角凧」、「金沢の起上り」など)が展示されているが、朝治は昭和10年郷土玩具店「木の実屋」を開業、日本郷土玩具協会に入会、郷土玩具の愛好家コレクターでもあった。
こちらに来て初めて見た「鶴之図」は素晴らしい。昭和6年の作となっており、伊予吉田で創作したものであろうか、戦後まで吉田病院の診療室に飾っていたらしい。同年10月第5回全信州素人美術展に「鶴」の題で入選、信州でのデビューを飾った。これは信濃毎日新聞社が主催した大規模な公募展だった。
しかし朝治は吉田病院眼科医長として多忙の中で、吉田町の神社仏閣や街の風景、桟橋など56景を描き、版画にしているが「鶴」のような緻密なタッチの版画を残していたとは凄い制作魂というか鬼気迫るものがある。
長野須坂に来ていいものを見せてもらった、小林朝治様に感謝である。


(鶴之図1931/木版)須坂版画美術館パンフ引用

(版画集「白と黒」第33号、版画集「櫟」創刊号)須坂版画美術館パンフ引用