小林朝治生誕地 信州須坂を訪ねる 4

(朝治のオリンピック参加と葛飾北斎

美術館でPost Cardを買った。木版の「スキー」「スケート」は、朝治が1936年にベルリンオリンピック芸術競技部門に出品したものだった。
昭和11年ドイツのベルリンで開催されるオリンピックに芸術競技があった。近代オリンピックの理念は「肉体と精神の向上の場」で、クーベルタン男爵の希望で芸術競技が採用されたそうだ。
日本は絵画63点、彫刻11点、建築5点、総計79点が競技に参加した。これらの出品は3月29日から4月3日まで東京府美術館で国内展覧会開催、12日横浜出帆の「照国丸」でベルリンに向け発送された。余談だが照国丸は、かつて日本郵船が欧州航路で運航していた貨客船である。第二次世界大戦において日本が喪失した最初の商船で、ロンドンのテームズ川で機雷に触れ沈没した。
朝治の積極的な創作活動は、オリンピック参加という形で現れた。結果はメダルに届かなかったが、参加することに意義があり誇らしいことではないか。
いらぬ心配だが作品がメダルを取ったら誰が表彰台に上るのだろうか?
さて、須坂の隣に小布施という町がある。知人に小布施某という人が居り「この前須坂に行った、隣に小布施という町があったが関係ありますか?」と聞いた所、何とそこの出身という。この人から耳寄りな話を聞いた「昔、北斎が居たことがありお寺の天井に絵を描いた」というのである。
浮世絵師の葛飾北斎は晩年、小布施に在る弟子の家に長逗留したことがあり、小布施町の祭り屋台の天井絵や、岩松院本堂の八方睨み鳳凰図を描いたという。
隣町に住む朝治は、当然北斎の絵を見ていたはずで、その絵に胸打たれ幾ばくかの影響を受けたのではないだろうか。
(小布施町には『信州小布施・北斎館』がある)
朝治は昭和6年「吉田風物画帳」を出版した、吉田の風景56景が描かれている、数字にこだわると本籍が須坂56番地である。北斎の代表作に「富嶽三十六景」がある。
56景と36景、同じ題材で天才は多くの作品を残した。朝治はキャンバスに絵を描きそれをノミで木版に彫り紙に刷る、大変な作業を吉田病院在任の4年間に56点も制作した、その熱意に頭が下がる。
北斎は90歳まで生き2万点もの絵を描いたというが、朝治は41歳で早逝した。もしも朝治が長生きしていたら相当な芸術品を数多く遺したに相違ない。


「スケート」


 「スキー」(美術館より購入の絵葉書を引用)


 (小林朝治)