1927年『欧米独断』第五章 白耳義(ベルギー)、和蘭(オランダ)と瑞典(スエ―デン)、丁抹(デンマーク) 1〜2

 清家吉次郎は1927年欧米視察の旅をした。1月に横浜を立ち北米、南米を旅して5月にスペインへ上陸した。英國、佛蘭西、瑞西、伊太利を廻り、独逸伯林に着いたのは7月20日だった。息子の美材が当地に留学中で久々の再会だった。
『欧米独断』の「これやかれや」には、21日妻大病にて入院療養のよしを知らせ来たる、病の何たるかは未だ知らず帰期を早くすべければ静養せよと申し遣わす、
夢は故山身は北欧の短夜に…と記されている。

 吉次郎は7月27日午後4時ツヲロ駅発白耳義に向かった。
白耳義は元永久中立の国で軍備は戦時に十八万仏独の如き、大陸軍国が中立を侵さんとする場合に於いては到底防御の力のない事は知れ切ったことであり、殊に国民が中立を頼みにして呑気に居ったものだから、自己の力を恃み過ぎた独逸は戦争を一気呵成に片付けようとして四週間内に巴里陥落を期して殺到したが、白耳義人も仏人と其愛土心が酷似して侵犯者を容れて置くものではない。敢然起こって防御に当ったのは建気といふも愚かである。流石の独軍もリエージの要塞に引懸かつて秀忠が沼田の真田勢に取合って関が原へ間に合わなんだやうに仏をして存分に戦闘準備の時間を得しめた。そして四週間は愚か五年かかって巴里を落とす所か自己屈従の已むなきに至らしめた。戦前と異なって今は各国と大使を交換すれば軍備の充実にも努めて居る。戦禍は仏に比しては極小ではあって見ても創痍は薄しといふべからず、国有鉄道を売って兌換制度は回復しても、猶佛のフランが八銭なのにここは六銭であること知るべしだ、但し仏とよく似たので比人個々は金持であることは国情考察のほかへ置けぬ所であると共に阿弗利加の中央公果(コンゴ)の貢献の大きいのは注目すべきことだ。
世界第一の稠密なる人口を有するだけあって田園は園芸化して如何にも集約に耕作せられ伊佛の如く荒地を在しない、南部国境の方に山が或る計りで平原だからその恵澤は農業に受けるのみならず交通機関整備の容易であった点において著しく顕れて居る。鉄工やガラス工やその名産製造に通う連中や、アントワープの築港工事に出る数万の男女労働者が二三十哩の遠方から汽車その他の便を以って通勤し得るのは全く平地のお陰である、それで八時間労働の余裕時間で農耕を営み自然に親しむことが出来る影響は精神上に衛生上に、大なるものがある上に半農半工の立場からして生活の安全が保たれ老銀が安くて済む。アントワープの大築港の企てられ七分方の峻成を見るを得、頓て大成せんとするも、老銀の安い為に負う所多きに居る次第である。
 〇落雷所々雹降れと牛の平気なる
 〇日のあるに北地なればぞ月見草
  麥秋は真夏なりけりゼルマンの広野豊けきみのり見えつつ

1927年『欧米独断』第五章 白耳義(ベルギー)、和蘭(オランダ)と瑞典(スエ―デン)、丁抹(デンマーク) 2

和蘭は最古い国交を有って居るので吾々には一種の温情があるけれども向うではそうでもないが、向うは向うとしてその戦禍を免がれ福々者の果報を得て居るのを同慶せざるを得ぬ。何れの国も貧乏人や失業者に困り切って居るのに前者共に先ず無いといふ状態で、他は都会と田舎に大差があるに和蘭はそれが見えぬ、国内は言うまでもなく製造業の旺盛に加えて酪農が盛んであり、南洋辺りでしこたま溜め込んだ百万長者の多いこと多いこと、全くおうら山吹だ。土地って開闢以来の沖積で低いという計りで肥沃に加えるに水が多い為に、牧草の能く出来ることは独逸などの瘠地の比ではない、随って地積に割合でば非常に多数で三倍も五倍もの澤々と肥えた牛の群れが放牧せられ而も日暮れには御念入りに腹巻までせられるのがある、併しながら食料不足の問題は南北米や豪州などを除いたら世界的で、和蘭人はその豊富なる牛酪乾酪を自国用にすることを減じて外国へ売り自分等は満州の大豆油を輸入し之を牛酪代用品マーガリンに製造使用して居る、丁抹人(デンマーク)が自国産の上等卵を倫敦へ送り露西亜などの下等卵を使用すると同じ行き方を仕出したのだ。瑞典の如き牧業貧弱の所でも牛酪輸出が表に現れ出したのも同じ手と知れた。北海道の抛つてある原野を牧場として酪業を盛んにするの利益は愈顯然たりだ。(中略)
和蘭工業の隆盛は造船業に就いて屢々言った、電気応用の如き亦出色の観るべきものがある。アムステルダム付近にあるヒリップ会社の短電波三十、一メートル使用の如く速く遠くバタビヤの議院へ女皇の詔勅が送られ、家々の電話を利してラジオが聞える便も開かれた。露国でも短電波で宣伝を始めたそうである、名物和蘭の風車も電気の方が安いので亡んで往くから保存会が出来た。先日米国から欧州へ飛んで来た米国の飛行機の如きも和蘭のホッガ―会社のモノプラン單葉である、伊太利和蘭行くところとして飛行機の優秀談があり独逸では今大西洋飛行計劃で賑わって居り、ストックホルムオスロウから倫敦マルセールに通ずる飛行機は日々ブンブン飛んで居るし各地で図抜けて大きい家は格納庫である、忙しい事だ。(中略)
和蘭が東印度諸島を領有することは非常の強味で、その利する所は公果などとは比較が出来ぬ。政府の収入に一億二千万円の雑収入というあるのはその搾取と外見えぬ計りか貿易上の利益が年々五億は動かぬ所だろう偉いものだ。併し一利の存する所一害之に伴ふは免れざる数である、和蘭にとって獅子身中の蟲たるものは爪哇(じゃわ)婦人と蘭人との混血児である、彼等は固より蘭人と対等であるべきを信じて居る、亦表面に於いて何等差別待遇は受けないが、蘭人間には侮篾の情念が潜在して自然面白からざる感情が涌き出でて来る、和蘭には宗教的の争いはなし結構であるが人種的偏見を全然脱することが出来ぬから、混血児は憤懣しヴオリセヴィーキに通じて左傾運動を遣るやうに為って疑獄も起これば遠い南洋の騒擾も生ずる、我国人の鮮人に対する仕打ちに何等の偏見差別はないけれども能く注意すべきことである。
瑞典の至っては他国との交渉最薄く日刊新聞の外国通信の寥々たるに徴しても、文化程度の西欧に比して著しく後るるに観ても、縦令その風景を慕い、涼味を趁ふて来る外客の甚だ多きを算するにしても求めざる自然の鎖国的状況たるべき道理が備われるものと見なければならぬ。人情の酵美、風俗の敦厚を以って世界に定評を博し得たるもの亦決して偶然ではない。中南西欧の油断ならぬ生き馬の眼を抜く狡猾の民衆の中から此の国へ遊べば、悠然として太古の風ありとでも謂うべきか、詐らず貪らず安心立命の地を得たりと見ゆる状態の床しさよ。
寡黙にして従順なる国民はその言語穏当にして矯激に趨らず、公職を悪用して私腹を肥やすが如きものはない。議会に於いて軍縮といふ大問題の儀せられる時でさへも平静で熱の迸るような有様は見えなかったそうな、徒に議場を混乱されたり小理屈を列べて得意がる某々国などとは同日の論ではない。固より言論の府たる以上侃諤の議はあるべきだ、闘争に継ぐに懲罰事件を続出するのは誡むべきだ。地方政治の如きも極めて簡易で治め易い所に国民性を発露して居る、中央銀行の重役には議員が委員と為って重要事務を決定する、戦後の金輸解禁も率先して遣ったが、日本銀行の利下げを前知して相場で儲けるようなものは一人もなかったそうだ。政治と金を截然分離し得ねば清い政治は見られぬ、選挙から立法行政に至るまで総てを通じて清潔を保ちたいもので、百術不如一清といふことを全国民が體認したいものだ。(中略)
森池と湖水に富む瑞典の風景は日本人が見ても眞に佳いと思う。ストックホルムの公園の如き幾重の森林湖水が襟と為り帯と為って雄大で細緻を兼ねた光景は滅多には見られぬ、独逸の桜の名所ヴエルダが先伯仲の間と言うべきであろう。ここに文明的博物館として家屋家具総て古代からのものが建てられてあるが、六七十年以前まで素僕の風俗が覗い知られる、現今カリフォルニアなどに多い瑞典式木造住宅で高さの低い宇和島式赤塗りの農民家屋はハイカラだが極めて近い建物である。兎に角瑞典は勢の迫らざるに社会改良を穏やかに遣って退け、猶醇朴の風を失わぬから他の欧州諸国が社会病でなやむ所を自然免疫で経過しさうなのが面白い。
丁抹は元来農園だったが北米合衆国や伯西や亜爾然丁やなどの大農國が現れては、丁抹の穀産などは物の屑ではない、穀価は下落し二進も三進も動きが取れぬところで、酪農に賛じ新たな事業即ち産業の革命であるから尋常では往かぬとあって各組合を設けた、牛酪、鹽豚、産卵などを主として販売組合生産組合が出来、肥料を主として販売組合が多数に出来た、法律などは後に多数整理の必要から生じたもので組合あっての法律で我国とはそちこちである。小学校を卒業して三年農業を遣ったものが補習教育を受ける、何のことはない期限の長い講習で農業も習うが国語歴史を主として土地禮讃の唱歌を詠うのが常で、土に親しみ土を重んずる所に骨子がある。曾て我衆議院予算会で吉植君の質問に対して高橋蔵相が食料のことは米と話をし農村振興は土地に相談せねば解らぬと答えたのは千古の名言で諧謔や戯談ではない、丁抹人は一般に土地や農業や組合を理解して居る、専門の学者が貢獻した所は固より大きいが、自ら作り出し、仕上げ、賣付けることに習熟して理事の材能や、技術員の指導を俟たぬに至ったものである、農村振興論者に最上の教訓であらうと思ふ。

「これやかれや」  8月1日ストックホルム公園丘上にて詠んだ和歌
  襟なり帯となりつつみずうみの幾重めぐれるストックホルム