1927年『欧米独断』第三篇 欧州編第三章 (瑞西(スイス)論)

 佛、墺、獨の舊三大国間に介在して独立せる瑞西はその山間生活に由って練磨された力の所得である。嘆美の声を惜しむべきでない。併し住民は仏独伊の三系に分かれ独立の国語がなく、安閑たる仏人と天然に対して健闘を続ける独人と玉石同架、呉越同舟で国を立てて居るのも奇観だ独系瑞人が、氷河雪渓に洗去られて山骨のみ残る七十度からの山腹に、石垣を畳み畑を設け農作を努めて居る有様は、南北米の広野を見、粗放なる農牧場を経て来たものには、我が関西の海浜農業に思い比べて、その困難の我に過ぐるものあるを観取し、涙ぐましく感ぜしめた。勤勉なる人は土を変じて黄金と化すてふ言うの全く偽らざるを知った。戦禍を蒙らなかった瑞西は貨幣の値が欧州の最高に在って四十銭のフランが四十銭に適用するは当然のこととはいへ瑞西の為に祝せざるを得ない。
佛境より壽府は直ぐである山一つ越ゆるのみである。人口十五万の小都会ではあるが、その清潔閑雅の點に於いて欧都米邑一として右に出づるものはない。湖水に清水を湛え周囲の森の中に様式種々に異なれる家屋を點綴し、遠くアルプスの峻峯千古の雪を望むときは誰でも超世逸脱の気を興さぬものはなかろう。而も国は永久中立の国であり、国際会議の此の地と定まったは實に尠からず。今に欧州などには解らずして反対するものもあるといふが、我国では早く了解して其成功を祈るに於いて国民一致であるのは慶賀すべきである。(中略)
羅馬(ローマ)から雅典(アテネ)、公斯坦知堡、ブカレストを経て中欧を巡るには日数が余りに多くなるから直ちに維納(ウイーン)へ出る道を撰んだが、共産党の蠢動が何日鎮まるか判らぬので瑞西の真中を突抜てその山間農業と遊覧客招致の設備を観るに何れも行届いたもので、畑と牧場とには果樹の栽培が洽く、葡萄園の如きも伊国の放り遺りとは異なって手入れの行届いたのに感心した。山林も樹の生え附く限りは植林が行われておる。旅館や鉄道やの設備が能く此処までと感ぜしめたのは言うまでもない。バゼール近い邊の平原の開けて居る所は格別だ。山紫水明で清涼な此の国へ旅客の多いのも当然で、儲けの多いことは国の収入の大半を占めるが、儲けなら何ででも可い。我国も旅客吸収の設備をして大に利したいなどと考える人が多いようだが、我国は餘に隔絶して瑞伊佛の如くは往かぬもみならず、国家の上から將た国民訓練の上から好ましからぬことである。来るもの拒まずだが旅客で立とうなどの吝な考えは不健全だ。飽く迄実業で立って往こうと努力しようではないか。温泉場や流行り神様で儲ける所に大なる根柢はない、強い力は養へぬと同様で遺ひ残りの銭を持って遊山に来る人を充てにするは詮ずる所乞食根性に外ならぬ。

***これやかれや***

7月11日朝壽府(ジュネーブ)に入る
  アルプスは雲にかくれて見えねどもうみめくりすと船に乗りけり12日海軍整理会議停頓
  全権の顔くもりけり夕立す
  御國ふりの夕餐二夜もかさなりて終りは友が酒を持て来つ
13日湖濱の景を賞しつつアルプスを仰ぎつつ美蘭に至る
  アルプスを知らざる人に峻してふ山未だ見ずといふべかりけり
  千代經ともきゆることなき白雪をかぶりて高しボットホルンは