1927『欧米独断』第三篇 欧州編第二章 (佛蘭西(フランス)論)

欧州文明の往詰まりなるは定論の有るところなれば多くの議論を費すを要せぬ。世界の横綱たる英国既に老境に入り固定骨化の嘆あらしむるは前章に於いて之を略述した。仏国の老衰は久しきも、大戦後の奮起復活或いは之を見るべきかと、一縷の望みを繋げて訪問した。由来天才の生ずるところ、国民の更生如何なる情状ぞ。會て危急存亡の域に臨まず隋つて窮地に處する試練を缺ける我国に対し大教訓を與ふるあらんかと予想し来つたことは何にもならず、無所得に終わったことを仏国の為に悲まざるを得ない。我国に取りては消極的訓戒を與ふるに過ぎなかった。
大戦に対し二十余国が連合軍に参加はしたものの、主力は個より仏国であり戦場が国内であっただけ傷痍を被ること最深く容易に痊ゆることの出来るものではない。独逸よりの償金は急には取れず、英米に負う債務は其利子を支出せねばならず、假令ボアンカレー内閣が各党首を網羅し、国民の絶対信任の上に立つとは云え、負擔の荷重が一分も軽くなる譯ではない。若しも米国に巨人あり亦米人に大量があったならば、戦争に参加した以上負擔はお互いとして佛債横墨の快挙に出て、早く欧州の経済を回復させて自他その利を共にすべきであったが、自ら提唱した国際連盟にだに加入せぬ程のけち者の米国に左様の度胸はなかった。今もなほ将来もあるまい。満腔の同情を寄すべき気の毒至極のものは仏国である。

***これやかれや***

6月30日巴里市中見物
  エッフェルの塔より四方を指して花の都を掌底に見る
7月1日塞耳壇要塞戦跡を弔う
  夏草や戦場も早く十とせ経て
  土にしみし血を吸上げて咲きにけんくれなゐ深き虞美人草の花
2日巴里見物
  ノトルダムの屋根の怪人は真下なる議院を何と見てやあるらん
3日ベルサイユ宮殿
  君奢り民苦しみて美しのみやゐ汚せしためしをぞ見る
4日パスツール研究所
6日モーレー村に至り村治を視しが得る所なしホテルのベランダにて清流に臨み涼風に浴し麦酒飲みつつ小城畫学生と語る
  森も川も自らなる絵なりけりふでの動かば我もかかまし
7日三菱会社にて仏人と語る
  何となるいくさのあとぞ語れ君わがこころだにうれはしかるを
8日ナポレオンの墓に詣ず
  君が成ししことの一つもあるならばよの常ならぬ人たるべきを
  君が立し高き動にくらぶればエッフェル塔もなほ低きかな
10日巴里を去る