『欧米独断』第三篇 欧州編 (第一章 老大の英國)

 吉次郎が外遊した1927年(昭和2年)は、第一次世界大戦後の不況と1929年にアメリカに端を発した世界恐慌の狭間で、アメリカの一無名青年のチャーレス・リンドバーグが紐育、巴里間の無着陸飛行に成功した頃だった。世界恐慌で歴史が一変する前のヨーロッパを吉次郎は訪問したのだった。
***
 倫敦タイムスは明治天皇崩御に当りて日本もこれより降り坂なるべしと予言した。併し日本は降り坂ならずして依然登り坂であり午前である。先帝の御代15年間の進歩は假令缺點の指摘すべきものがありとしても著大なるものである。知らず英国に何の進歩ありしか。大戦を期として此老大国が降り坂になったではないか。(中略)
 英国は大先進国である。現世界における何事にも一足お先に失敬した国である。憲法政治を創始し之を発達させて列国に範を示した。産業においても自由貿易の第一採用者であるといふも畢竟産業が発達して他の追従し競争するを容れさせなかったからである。
競争ができるものならば誰でも来いという地位にあったからである。大陸紛争の虡に乗じて海外の領地を拡張し日輪の没することなき大国を築き上げて仕舞った。国民が亦天涯地角至る所を故郷として眞に人間至る所青山ありの気概を現したものである。その成績の偉大なるには何人も讃嘆を禁じ得ないのであるが、時間という魔物は英国の偉大を以ってしても自らの老いと他の成長を停息することは出来ない。

***これやかれや***
6月8日朝、スペインの港町ヴィゴー着、山容水態我国に彷彿たり。
9日、明日上陸の事とて晩餐賑へり食後外人の署名を求むるもの多くついには絵葉書に讃して與へ多くの手巾に富士山かきて取らせたるが悦ぶこと限りなし、バーにて酒酌み交わし歌うたひ12時に及びて英国歌と蘇国出船送別歌を合唱しフレーと万歳と各三唱す
  往来する船の数にも知られけり英吉利近き海となりけり10日リバプール着、船中互いに心易くなりたればかたく握手を交わして各上陸す、倫敦山下支店より今江君わざわざ出迎えられ夜12時の汽車にて倫敦に向かい翌朝ノッチンガムプレース東洋館に投宿す
11日大使館山下汽船等を訪ひ倫敦塔を観、ハイドパークに遊ぶ
  国王の數の寶と人を責め虐げ殺すものをつらねき
  石壁に刻みつけたる囚人のよむに忍びずうつたえのふみ

12日今日も見物
  叉しても木伊見てけり夏日永
  堆き青葉抜き出でてネルソン像
14日議会傍聴労働法の討議にてクライン、ロイドジョージ、アルフレッド、モンドなどの演説あり、ウエストミンスター寺院に詣づ
  上下の奪ひ合ふより争ひを言挙げなして議かるなりけり
 この寺に己が骨をも埋めんとつとめてやまぬ人ありや否や
15日アスコウ競馬場及びウイゾルイートン中学を観る
  国王もかげさすとかや夏の日をひめもす餲かで馬みそはなす
  五百歳の古き学び舎ふりにしもくちせぬ人の名を留めけり