武左衛門一揆と安藤様

『トランパー』にも書いたが伊予吉田藩(伊達三万石)にはいろいろなエピソードがある
武左衛門百姓一揆は小説等で有名である
伊予吉田藩の領地は飛び地になっており旧宇和島藩一帯にある
桁打ち(浄瑠璃語り)芸人になりすました農民・武左衛門は
山峡の村々を3年にかけて流し、寛政5年2月突如日吉村百姓一揆の蜂起をみた
吉田藩の豪商の横暴とそれに幇助した藩の用人に対する農民の怒りの爆発だった
高野子から延川まで八ケ村の農民は鉄砲を放ちホラ貝を吹き、ときの声をあげ吉田城下を目指し行進した
沿道の村々から続々参加して7千名に膨らんだ
宇和島藩の誘導で八幡碩に結集した一揆はさらに吉田、喜佐方、立間などの農民も加わり9千6百名となった
これを収めたのが吉田藩家老の安藤継明だった
大雨の中、八幡川原で屠腹し家来千右衛門に落ち着いて切れと介錯を命じた
安藤の一死で一揆も収まり伊達三万石は救われた
夫の亡骸を玄関に出迎えた妻女は白無垢姿で「今日は立派なお帰り!」と拝伏したと伝えられる
時に安藤44歳、寛政5年2月14日のことだった
この一揆は首謀者が分からなかったが、翌年やっと武左衛門を見つけ出し吟味もなく即刻首をはねたという
この吉田騒動の原因は諸説あり「伊予吉田郷土史話集」(芝正一・著)に詳しく載っている
安藤継明は海蔵寺に眠っているが吉田町の桜町に「安藤神社」が建立され、賑やかな夏祭り(安藤様)は愛媛県で一番早く開かれる

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6月9日浅草公会堂に創作舞踊「百姓一揆」を見に行った
4月の「トランパー出版祝賀会」でアトラクションをやってもらった同級生が踊った
日吉村の人たちが武左衛門一揆のことを皆に知ってもらおうと一所懸命である
宮川先生の振り付けで拍手喝采だった

一句
武左衛門安藤様も夏祭り