石原氏の電文

 きのう、宇和島信金の季刊誌『つなぐ 春号』が届いた。

2月1日に石原慎太郎氏が89歳で亡くなり、吉田山下家からブロガーに「つなぐ」

へ載せる慎太郎氏のことについて寄稿を頼まれた。

 自書『トランパー』に石原家のことを書いたのでブロガーにお鉢が回ってきたのだろう。

 石原兄弟の父・潔は、宇和島中学を中退して、吉田町出身の山下亀三郎が創立した山下汽船に勤めた。

 潔の父親は警察官で南予に赴任して、吉田町にも住んでいたという。

石原兄弟は、神戸で生まれ小樽で育った。潔の転勤で湘南の厨子に引っ越した。

ここで芥川賞の『太陽の季節』が生まれ、裕次郎が映画デビューした。

『トランパー』にはいろいろ石原家のことを書いたが、吉田三傑の山下亀三郎

清家吉次郎の没70,80年祭に慎太郎氏からの電報にも触れた。

この電文は慎太郎氏のブレーンが書いたようで、本書には記載できなかったが、

中々の名文だったので、エッセイに書かせてもらった。

 昔、ブロガーの会社が山下汽船の子会社と合併したとき、先輩から「石原兄弟はよく会社に来ていた」という話を聞かされたことがある。家長をなくした兄弟に会社や仲間がカンパ金を集め奨学金として渡したそうだ。

 葉桜や海の男は散りにけり

 

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つなぐ「石原慎太郎の電文」

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つなぐ春号 10-11ページ