「トランパー」出版まであと7日(ナビックスから商船三井へ)

 喜佐雄は昭和六十一年(一九八六)一月二十五日、三鷹市の病院で八十三歳の生涯を閉じた。葬儀には多くの参列者が斎場をうめ、内閣府から「正五位」の叙位を賜り、宮家からの花輪が飾られていた。終生、滅私奉公を旨として仕事一筋の明治人だった。
店童(丁稚)時代は夜学で数か国語を習得する勉強家で、営業で頭角を現しワールドワイドに活躍した。彼は米大統領アイゼンハワーに似ており「アイク」の愛称で呼ばれていた。オヤジさんと慕った亀三郎が亡くなって四十有余年が過ぎていた。

 喜佐雄が亡くなって二年後の昭和六十三年(一九八八)十二月二十三日、某新聞に「ジ・ラインと山下新日本汽船対等合併きょう調印」と一面トップで報道された。一度分裂した旧山下汽船と旧大同海運が再び融合するのである。
 ふりかえれば、昭和五年、山下汽船から大同海運が派生し、昭和三十九年の再編で山下汽船は山下新日本汽船となり、大同海運はジャパンラインと社名が変わった。しかし円高、国際競争等々で外航海運は生き残りをかけ厳しい経営を迫られていた。
この合併で、喜佐雄が活躍したかつての大同海運は、五十八年ぶりに古巣の山下汽船と統合するのであるが、亀三郎はすでにこの世を去り、喜佐雄は三年前に他界してこれを知らない。しかも世界のブランド「山下」という呼称は、子会社の山下新日本近海汽船で残っていたが、平成八年のナビックス近海誕生で完全にその名が消えた。
栄枯盛衰は世の習い、合従連衡はさらに新生「商船三井」へと続き、海運の歴史は怒涛の如く展開するのである。
一首
儚さや山下の名は消えるとも亀三郎魂永久に継がれん