「トランパー」出版まであと38日(喜佐雄の苦悩)

田中正之輔は部下20数名を引き連れオペレーター専業会社「大同海運」を立ち上げる。
16歳から山下汽船に入り大恩のある亀三郎のもとを離れる喜佐雄の苦悩はいかばかりであったろう。
他の連中はいざ知らず、喜佐雄の実家は亀三郎生地の目と鼻の先である。
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伊予吉田・白浦の実家に親戚一同が集まった。「何!喜佐雄が会社をやめる、そりゃまた何うしたことか、こんな時に喜佐雄が自分から辞めたいとは、てんで正気の沙汰ではないじゃないか!」「亀三郎翁の今日あるはトントン拍子で来たものではない。何度も浮沈みがあり苦労し尽した結果で成功されたのじゃ。今新しい会社を作りそれが成功するなら、亀三郎さんの会社だって必ず良くなるに相違ない」など伯父たちは口々に反対の弁をまくし立てた。
喜佐雄の兄源四郎が口を開いた。「伯父さん方、喜佐雄の意志は固いのです。手紙が来ておりますので読みます。その上で叔父さんらもよく考えてください」長々と喜佐雄の手紙を読んだ兄源四郎は、額に光っている脂汗を手拭で拭いながら、
「喜佐雄の手紙は、いま私が読みました通りで、彼も十分考えた揚句の願いですから、伯父さん達も承知してやって下さい」と、頭を下げた。
源四郎の眼には光るものが有った。沈黙がしばらく続いたあとで叔父のひとりが、「源四郎の言うことにも道理があるのう」と呟いた。
最後に議長格の伯父が、「どうでしょう。源四郎もあれ程にいっていることではあるし、今度は喜佐雄のいうことを許してやっては!」黙って聞いていた母や、義姉はそれぞれに喜佐雄のやさしい気持ちを知っているだけに、ほっと安堵の胸をなでおろした。
このような経路をたどり喜佐雄は不況のさなか大同海運設立に加わるのであった。28歳の夏であった。
一句
白浦の盆の送り火段畑