「トランパー」出版まであと39日(田中正之輔の反乱)

昭和恐慌のころ、亀三郎は会社創業以来、最大のピンチに陥った。
荷動き激減で多くの係船を余儀なくされているとき、田中正之輔以下営業部隊十数人が会社をやめるという。
田中は、東京高輪南町の山下亀三郎本邸で「ながなが、お世話になりました」と、辞表を提出した。
その後、松尾恒四郎取締役東京支店長も田中に続き、辞表を出したが、丁度その時、神戸から(辻詡吉遠洋課主任が、ただいま辞表を出した)との電話があった。
この時「オヤジさんは世にも嫌な顔をせられた」と、松尾は後々語っている。
亀三郎は、子飼いの部下に反旗を翻されたのだ。
亀三郎に将来を嘱望されていた辻詡吉が後日、語っている。
「大同海運が創立されたのは、昭和五年十二月でした。田中正之輔を首領として約二十名の反乱軍が、山下汽船という海運界の大部屋から脱退を決行したのは八月でした。封建性の強かった当時のことですから、各方面から厳しい批判、というよりも激しい非難をあびせられたことは当然だったと思います」
田中正之輔の離反劇の真実は?
ちょうど時間となりました、ちょと一息また講演〜
(トランパー前編ビデオ)