「旧岩崎邸庭園」を訪れる

「沈みつ浮きつ」の地の巻〜人を語る〜の中で、最初に登場するのが「岩崎久彌男とその帰省」である。
亀三郎は、昭和13年岩崎弥太郎の生まれた高知県井ノ口村を訪ねた。
亀三郎は16歳で「俺は太政大臣三条実美のようになるんだ!」と言って故郷を後にしたが、その後は「岩崎弥太郎になる」と趣旨を変えた手前、弥太郎の実家に行ってみたいと考えていた。
その時、岩崎家の子孫は40年ほど前に久彌が来て以来途絶えているという。それ聞いた亀三郎は、各務謙吉など三菱系の首領株に岩崎家ゆかりの書簡などを見せた。
そのお陰か岩崎久彌夫婦が最近お国帰りをした、との報告を須磨の別荘で聞いた。
亀三郎は故郷伊予吉田のお墓詣りを年中行事としていた。先祖に対する道義観念を起さねばならないと自伝に語っている

昨日、不忍池そばにある「旧岩崎邸庭園」を訪れた。「トランパー」の揮毫者の書展が上野であり桜吹雪の公園を歩いた。
岩崎財閥3代の岩崎久彌はジョサイア・コンドルの設計で洋館を建てた(明治29年完成)。中には撞球室(ビリヤード)があり洋館と地下通路で結ばれている。当時は東京ドームの広さがあったという。
和室の床の間に橋本雅邦作「富士と波」がある。
庭で桜吹雪を動画に収めていたら、隣の紳士たちが話をしている。
「昔の創業者は大したものだ、大いなる遺産を公共に寄贈している。今の社長共は自分の任期だけ収益を上げればよいと粉飾までしている。」と、この体たらくを嘆いていた。
一句

岩崎の昔を偲ぶ桜かな


橋本雅邦作「富士と波」