伊予吉田の歴史と文化 昔の暮らし(お節句のお弁当)

 亥の子の次はお節句の話し、ブロガーの家は長女が居ったせいか、ひな人形があった。男4人兄弟になっても何故かお袋は、ひな人形を引っ張り出して飾っていた。
男の節句は旧暦で4月、馬の背という小高い山の雑木林に入って、旗をめぐらし陣地を作った。チャンバラごっこの様なものである。町内の犬尾城山、石城山にも旗がひらめいて皆な、戦国時代の合戦気分で盛り上がっていた。

 節句のお弁当(『ジュラ紀前』より引用)
 旧暦三月のひな祭りには、漆塗りの小さなお弁当箱にご馳走を詰めてもらうのがうれしかった。近所の子供たちが思い思いにひな壇の前に集まって、弁当箱の引き出しを開け、見せ合いながら一緒に食べた。
皿に乗っていても折り詰でも中身は同じではないかと思うのは大人の感覚、金銀色の金具の取っ手が付いた引出しが3重、4重に重なっている弁当箱に詰めてあるのがうれしい。
普段と中身が少々違うばかりではない。味付けが同じであっても違った味に感じられた。
海台巻、卵焼き、ゆで卵が人気のメニューであった。蒲鉢のピンクも、いつもよりひときわ目立つ。魚の焼き身や煮つけのイワシ。ニンジン、ゴボウ、コンニャク黒豆などの煮つけに、ダイコン、ニンジンの酢の物一つまみが添えられる。これらの小さな一切れ二切れが入るだけで箱はすぐいつぱいになった。たくあんや梅干も海苔巻に囲まれて鮮やかに彩りを添えた。

 こう思い出しながら並べてみると、当時の食材もなかなかバランスが取れていて結構なご馳走である。弁当箱はひな壇にでも飾れそうな、おもちゃのようにかわいらしいもので入る量はしれているが、いっぱい詰まっているのがうれしい。そこえ多段の引出しに光る金具、これがまた気分をかき立てた。
金銀色の金具の取っ手は細工もしっかりしていた。かわいらしくて子供の指でないと入らないような代物であったが、このかわいらしさが幼児にはぴったりくるのであろう。みんなで弁当箱と中身を見せ合った。
自分の箱にないものが隣りの子の箱にあったりして、見せびらかしたり侮しがったり、やがて交換し合ってわいわいがやがや食べた。
ひな壇の前でひとしきり食べた後、近くの野辺に出掛けて食べることもあった。桜の花びらの散る下で、ござを敷いて座る。みんないつもと違う服装で、女の子たちは綺麗な着物に着替えている。髪も綺麗にといて髪飾りの一つも付いていると、男の子も妙に浮き浮きするから不思議なものである。
幼児から小学校低学年くらいまでの記憶しかないのは、多分それくらいまでの年齢の子供が、ままごとごっこよろしく一緒に食べたのであろう。10歳にも近づくと食欲も一段と高くなり、小さな弁当箱では物足りなくなるし、ことさらひな壇にこだわらなくなる。
当時はまだ男女3歳にして席を同じゅうせず、だとかなんとか言った時代である。そうした時代背景も助長していたのかもしれない。お互いだんだんと避け合うようになる。ひな壇の前など照れくさくってというところであろう。
 最近は給食といってみんなに同じ物が配られるが、私たちが子供のころの弁当はそれぞれ独特の母の味であった。ちょっとずつ違うところが良かった。大人の良し悪し、近年の高級料理志向の感覚とは違い、たとえたくあんであろうと自分が好きなもの、母が作ってくれたものが一番。だいたい卵焼きがいつもランクのトップであった。
もちろん家庭の事情も影響し、無益な競争心や気の毒な引け目の芽生える怖れなしとは言い切れないが、各自それぞれが独自の弁当持参の良いところもいろいろあるような気がする。
あっ、あの子のあれいいなあ僕もあれにすればよかったなあと、ひとときのうらやましさがよぎることもあるかもしれない。しかし、次はお母さんの言うことをよく聞いて僕もあれを作ってもらおうと、むしろプラスの効果の方を見直したい気がする。
恵まれ過ぎて、あれはいやこれは嫌いと偏食したり残したり、粗末にする子が多い昨今の状況よりも、より好ましい不満の経験ではないだろうか。

 五月の端午の節句では武家人形や弓矢・刀剣の飾りが主で、さすがに男の子向けである。
出世を願う気分が前面に出され、男気一色であった。華麗さ賑やかさより勇ましさが目立った。人形や兜甲胄も大きい方が喜ばれ、大きさを競い合った。鯉のぼりも大きさ比べ一色である。
最近のミニチュアのような小さいものでは恥ずかしくて友達を連れてこれない。
都心のマンションの片隅にやっと場所を与えられる近年の状況とはまるで違った。弓矢の飾りなどは、そのまま子供が引いても、ふすまくらいには突き刺ささる立派なものであった。
不思議なもので男の子の節句になると、ひな壇の前でおとなしく弁当食べる雰囲気にはならない。勇ましい飾りに誘われて、いつのまにか物語の中のヒーローになったつもりでチャンバラごっこに引き込まれたりした。普段、ひな飾りは大きな箱に入れて天井裏や物置などにしまってある。この箱を収納場所から引っ張り出し、箱からひなを取り出して飾る。箱は子供の二人や三人は入れそうな大きな木箱で、一人では取り出せない。兄弟、姉妹2、3人で苦労して天井裏部屋から取り下ろした。
ひな壇の組み立てから飾り付けまでやるから結構時間が掛かる。主に子供の担当、胸ときめかす楽しいひとときであった。
封を取りふたを開けると、かすかな古のにおいを押しのけるようにナフタリンのにおいがほのかに立った。少しずつ増える人形で箱はぎっしり詰まっており、箱も一つではない。日家のひな壇などは、ふすまを取り払った座敷いっぱいを占めてなおはみ出さんばかりで、ひなの数も大層な代物であった。
それでも取り出すときは苦労というよりむしろ楽しみである。しまう方が大変であった。
大小さまざまなひなを一つずつ顔に綿を当てて鉢巻し、顔を隠してから個箱に入れ、大きさのまちまちな個箱を入れ子よろしく組み合わせながら詰めていく。順序よくうまく詰めないと入り切らない。いいかげんに詰め込もうとしたり、面倒くさがって急いでも決してうまくいかない。かえっていらいらするばかりで余計に時間は掛かるし苦労することになる。
何度も何度も入れたり出したり組換えを繰り返してやっと納まる。無事ふたができることが分かると、ふーと大きく息を吐いたりした。かなりの時間を要した。
代々受け継ぐから虫やカビからの防御も欠かせない。ナフタリンを適度に分布よく入れ、箱の稜線をきれいに新聞紙で目張りして来年まで保管する。屋根裏の物置など湿気の少ない場所を選んで優先して収納した。
最近の工場で大量に組み立てられる電子機器付きのおもちゃとは違い、同じものがいつでも手に入る状況ではない。親からは大事に大事にするようにくどく言われ、いくばくかの緊張感を覚えながら扱ったものである。買った日、一日で飽きてぽいと放っ散らかすようなことはまずない。与えられ過ぎる、恵まれ過ぎるということも考えものである。

ところで、テレビで国家予算のニュースやら何やらいろいろ見ていると、どうゆう訳か子供のおもちゃに思いが行ってしまう。
そして人間は本来保守的なものなのであろうか、と考え込んでしまう。
確かに現状によほどの不満がない限り、現状が変ることへの不安の方が先立つのはごく自然なことかもしれない。若くて前進、探求、冒険に意欲を燃やせる時期は長い人生からみれば限られるかもしれない。とすると今は若い人が少ないから、その若い人たちが一応満足できる庇護下で育っているから、改革前進というものへの無関心、慎重さが目立つのかもしれない。
ではなぜ一方では陰湿な犯罪や、本来正の権化でなければならないはずの公の不祥事が目立つのであろう。平穏無事に飽き足りない何かがあるのではないだろうか。平穏無事に落とし穴があるのだろうか。平穏無事に見えるのは幻に過ぎないのだろうか。
自分も老人になった今となっては保守的になりがちだし、老人を大事にしてもらいたいのは人情ではあるが、それと革新的、前進的とは座標軸が違うと思えてならない。むしろ両立すべきものだと思う。
予算の配分は時代の転機に立って、もう少しめりはり付けてもいいように思えてならない。老人の愚痴、無責任な感想である。