伊予吉田の歴史と文化 吉田祭礼の行列絵巻(3)

御用練は粛々と、町方練車は情緒たっぷりに陣屋町へ繰り出す。
祭のクライマックスは、牛鬼や宝多、神輿さらに鹿の子で、おねりは静から動へと変化する。牛鬼は立間尻(元町、鶴間、浅川)の者が担い、神輿は八幡神社のある立間の者が担ぐ形になっている。


(練り唄で綴る吉田祭禮)

さて、母校(吉田高校)の先輩で、魚棚1丁目に住んでいた家藤量(りょう)氏から、従兄弟の三瀬教利(のりとし)氏が執筆された、ふるさと回想の「ジュラ紀前」という本を貸してもらった。
三瀬氏は戦争を挟んだ厳しい時代に生きたが、これは恐竜が栄えたジュラ紀の序曲と捉えている。21世紀がジュラ紀のように一層繁栄してほしいと願い、平成12年に幼少年期の情景を描いた本を作られた。
この本に牛鬼など吉田まつりの記述があるので紹介したい。
***

(牛鬼)うしおに
私が生まれ育った町、愛媛県吉田町では毎年春と秋に恒例の祭りが催された。
秋祭りでは牛鬼が出て暴れる。口をカーと開け、首を振り、尻尾を振り回して暴れる。
この暴れる牛鬼からみんなが逃げ回ったり、柵の後ろや二階の窓など、離れた所からはやし立てたりした。それが楽しみで指折り数えて待った。
牛鬼が暴れだすと祭りはいやが応にも最高潮に達する。幼い子は泣いて母親にしがみついたり、子供たちは家に駆け込んで隠れたりした。
祭りの出し物といえば仮装して練り歩いたり、神輿を担いだり、飾った車を引いたり、八つ鹿踊りのように舞って見せたりするのが普通で、
参加している人と見物客との間に一線が画されるものだが、吉田の祭りでは、それらとは別に牛鬼が出て暴れるので近郷で人気の高い祭りであった。
参加自由というよりも、見物人もはやしたり逃げ回ったりして、いつのまにか引き込まれてしまう。
牛鬼は町の数ヶ所、主な交叉点を中心にして暴れた。一回10分か20分、間に休憩を挟んでトータル1〜2時間くらいであったろうか、暴れ回った。
スペイン、バンブローナの牛追い祭り、柵内に暴れ牛を放ちそこへみんながなだれ込んで牛を兆発して逃げ回るポルトガルのラルガーダみたいなものである。
今年の牛鬼は元気がいいといっては喜び、ひと暴れして動きが鈍るとはやし立てて牛鬼の尻をたたく。逃げるみんなを追いかけて家の方へ突進し軒の瓦をはぎ取ったりする。
すり傷、打ち身ていどの軽い傷を負う人はしょっちゅうで、多少のけが人が出たりするとかえって興奮がつのり、はやし立てる方も牛鬼の方もさらにいきり立ったりした。
牛鬼とはいったい何だと思われるであろう。大きさ格好はネス湖のネッシ一を想えばいい、そっくりである。種を明かせば作り物である。胴体はいわば大きな竹籠で、これに網を掛け、網にシュロの毛を植え付ける。角の生えた頭部を長い棒の先に着けて胴体の前に取り付ける。棒には長い竹かごをかぶせ、胴体と同じように網とシュロの毛で仕上げて首とする。あとは長い分厚い板をお尻に取り付けて尻尾にすれば出来上がりである。
こうしてできた牛鬼の胴体の中に10人以上であったろうか、人が入って持ち上げて走る。中から外は見えないから胴体の外側にも4、5人が張りつき、前だ後ろだ、横だ、回れ、下がれ、と力いっぱい操縦する。かなりの人数が一団となってどたどたと走るのだから、地響き立ててと表現しても決してオーバーではない。
暴れながら牛鬼は首を上下に動かしたり左右に振ったりした。首部の心棒を支柱から懸垂していたのであろう、棒のもう一方の端を持てばかなり自由に動かせる。ロもカーと開けたり嚙みついたりした。尻尾も動かせるように取り付けられていて時々上下左右に動かすのだが、こちらは角張った無垢の材木だし胴体の回転が加わって大変危険である。この尻尾の一振りをかいくぐるのが、これまたスリル万点の余興となった。これは打ち合わせされたパフォーマンスではない。たまたまの出来事、即興であるから観衆の驚き喝采もひとしおであった。
この牛鬼をみんなではやし立てては散り、逃げ回った。中に入って担ぐ方は薄暗い中で外が見えないから向きも何もあったものではない。重いのを持ち上げてただひたすら走るのだから、外側の付添役の思うようにはなかなかいかない。勢い余って家に突っ込んだりする。
交叉点に面する家々は家の前に柵を構築してそれに備えた。柵にぶつかると牛鬼も柵もメリメリ、バリバリと音を立ててゆがむ。これがまたみんなを興奮させた。女達はキヤ一キヤ一と賑やかに悲鳴をあげて盛り上げた。
私の家も交叉点から3軒目だから柵の構築が年中行事になっていた。直径10センチ以上もある丸太を1階屋根上までの高さに組む。丸太を立てるための穴を掘り、しまってあった丸太を持ち出してきたり持ち上げて組んだり、これを扱うのは簡単ではない。粗くても一応格子状に組むから2本や3本というわけにはいかない。父や兄たちの担当、近所の共同作業でまかなわれていた。
この祭りが近づくと子供たちばかりではない、みんながまだかまだかと待ち焦がれた。
この忙しいのにやれやれという気分も多少大人達にはあったかもしれないが、準備が始まると、そんな気分は吹っ飛んでみんなが集中した。
***

(画・三瀬教利氏)