清家吉次郎伝 6

(2つの逸話)=無逸清家吉次郎伝より=
明治34年南宇和郡視学時代のころ、親友、萩森壮太朗と松山の夏目漱石「ぼっちゃん」で有名な
城戸屋に泊まっていたとき、丁度そのとき東久世通緖伯が松山に来ていた
吉次郎は萩森に「おい一緒に行って話してみようじゃないか」といった
「君は東久世伯を知っているのか」
「いや知らんよ。知らなくたって肩書付の名刺を出せば逢うよ」
南宇和郡視学という肩書がささやかなものでも、そんなことを気にする吉次郎ではなかった
そしてとうとう東久世伯に逢って教育上の意見を滔々と述べだした
ところが東久世伯も話し好きで大いに談じた、二人は旧知の如く談論し談笑したという
萩森はちゃっかり、伯の上機嫌なのを見て、密かに携へていた紙幅に揮毫を請うた
「やあ、さっぱりおらはそれを忘れてしまった」
と、あとで吉次郎は残念がった
明治40年、吉次郎は文部省が全国郡視学の講習会を開催するというので上京、赤坂表町にある萩森壮太朗宅で数日間滞在した
二人は書画が好きで、二人で色紙や短冊を集めようじゃないかという相談が出来上がった
色紙や短冊10枚宛位持って、中村不折内藤鳴雪河東碧梧桐、下村爲山など歴訪して書いてもらった
ある日、吉次郎は一人で、吉田の舊藩主伊達家を訪ねると言って出て行った
ところが、如何した間違いか家を誤って、当時の御歌所長男爵高崎正風の邸へ飛び込んでしまった
しかしこれが機縁となって数日後には正風の色紙と短冊が2枚宛手に入った
こんな思わぬ拾い物もあったのである

このエピソードに萩森壮太朗という人物が出るが誰だろう?ネットで検索してみたら…
・東京物理学校(現東京理科大学)では、1931年に深刻化する卒業生の就職難に対処するため「人事部」を特設した。以後、その主任に委嘱された萩森壮太郎を中心に…云々
・萩森壮太郎 著 普通代数教科書 巻上 光風館 明39.12 萩森壮太郎 著 因数分解法講義 光風館
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ニ句
赤坂や吉さん来たる春霞
子規想い根岸の秋ぞ駆け巡る