『欧米独断』 第二南米篇(南米雑記帳)

亜爾然丁大統領アルヴェアル氏謁見記=
 4月9日我乗船アルメダ號は午後8時30分べノス・アイレスに到着した。小使でも迎へしめられれば幸甚と思ったのに、古谷公使自ら館員諸氏と共に夜も晩きに迎えられたのは如何にも過分で恐縮に堪えぬことであった。ホテルよりは心置きなくて可からうとて公使館に宿泊を許されたのも忝いことであった。公使は我々の為に視察日程まで作っておられたが、18日には大統領謁見お手続きをして貰って居た。能くも行き届いたお世話ぶりだと有難いと共に感心した。然るに18日は議会の開院式なので16日に繰上となった。
当日公使は我天皇陛下より大統領に寄せらるる宸翰を大統領に呈せらるることになり、随伴して外務省に行き式部長官の案内で正廳へ進み公使の宸翰傳呈のことが了つて、私は大統領から声を掛けられ握手の禮を行ふた。
初見参の禮を終わると著座を命じられ公使と鼎座した。大統領は如何にも打ち解けた態度で温顔に微笑を堪えて話しかけらえる所に心からの歓迎が露はれて私を溶かせてしまうように想わせた。大統領は遠方から能くも来てくれた、君を迎えて握手し、且つ談話を交えることは誠に愉快に堪えぬところである。日本は極東に位し当国は西半球の絶南にあって遠く万里を隔つるけれども余が感情には少しの隔りもなく常に親近の情を抱くのである。君が当国に対して視察せられた感想を聞くを得ば幸いであるといわれた。
私はその言容の狃々しきに釣り込まれる気がせずのは居られなかった。
それで禮を失はぬ限りは隔意のない話をしたいゆに思ったが劈頭からのざっくばらんも餘だから多少虔んで出た。
閣下本日は拝謁を賜はり且つ親愛の情の溢れたるお詞を下されて光榮之に加かず辱なく存じます。私は任務としては舊き欧州諸国の自治行政の視察が主でありますけれども、北米合衆国太平洋岸に於ける同胞の状態を視、遠くバンクーバーまで北進し紐育へ出ましたが、近年伯拉西爾へ来るものの数を加え当国に入るものも少なからず、それ等の様子をも実地に観察も致したし、殊に親友古谷公使が駐剳せる折柄、日進春日の二堅艦を譲られたる以来、一般に忘れ得ぬ記憶があって親密なる感情の篤きは先日寄越されたる練習艦に対して表示せられた通りで閣下の熟知せらるる所であります国情の明らかなるに伴なって私共は当国に対して、一歩進んで憧憬となって居るのであります。私は到着後先ずべノス・アイレスの聞きしに劣らぬ華麗さに感心をし、深く内地に入って開拓の進んでいるのには驚嘆を禁ぜなかった次第でありますと述べた。
それから大統領は公使の方へ転じて菊花御紋章に対する敬意と国交上の話をかはされて起こって握手せられつつ、余は日本国民の実に偉大なるを感ずるものである。予は両国が益々親善を加え隆盛ならんことを冀望する、君が帰国の日には全国民に予が意のある所を伝えられたいと握れる手に力を入れられた。

吉次郎は大統領との謁見を終え、記念に大統領の「偉大なる国民中に秀でたる貴下へ」と記された署名を頂いた。18日の開院式に特別室で傍聴した。
  ***吉次郎の和歌***
大統領謁見を終わりて
  爾(いまし)我(われ)と親しき物の語らひはやがて互の幸となるらん
議会開院式を見て
  山鳥の尾の長文は秋の日の短き時に適はざるらん