『欧米独断』 第一北米篇(米国東部における日本人)

太平洋岸の日本人は出稼根性を以って終始し、深く根底を植ふることを勉めざりしが為に全く失敗したるが、東部に就きし人は教養あり大志あり、出発点よりして西部移民とは徑庭あり。東部は日本人を遇するに対等を以ってし、紳士を以って待つに於いて亦少なからざる相違あり。政府と結託して国庫より出でし金銭を浪費せしものは失敗のほか得る所なく、其の抛売が真面目なる商人を苦しめしは測るべからずといへども、真剣に営業せしものは成功を齎らし永く海外事業に範を埀るるに足るものあり。
佐賀人と大隅大蔵卿が相表裡して起立工商会社を興し國帑を廃すると、商人を妨害する時に当り、大隅卿も良心に安からざりしものがあるか、森村市左衛門氏に五萬円を補助せんと曰ひたるに、森村氏は政府の補助金などを受けては、商売の神聖を汚さるるとて毅然として拒絶し、令弟豊氏、村井氏等と信実の商品と取引とを以って信用を得、他の起倒常なき間に独立独行、居然たる巨商と為り益々隆運を開きつつあるは、実業の為に万丈の気焔を吐くものにして、後世の学ぶべきところなり。村井氏の如き曾て俸給を受けず食費を辨ずるに満足し、遂に森村組の一員となり総支配人となり元帥の地位に昇りたる、急がず焦らず米人の心理を諒解せんが為には米婦人と結婚し、米人の意向と趣好を察し、商品仕入れの法を誤らざりしもの決して偶然にあらず。村井氏と相隣つて邸宅を営み、米人を瞑若たらしめたる新井氏の如きも生糸販売を以って生命とし、大正12年の大震災の厄を蒙る深甚なりと雖、不屈不撓業務を継続し孜々として復興に努ること、鐡石の人にあらざれば能くせざる所にして悲壮壮烈懦夫を起こしむるに足るものあり。

吉次郎は3月24日紐育に着く。
26日27日リバーサイドなる村井邸に招かれて歌を詠む 
 ここに來て思はぬ酒の振舞に語りあひつつ小夜ふけにけり
 かしましき都を遠くここに來て夢やすらかに一夜ねにけり