吉田三傑「村井保固傳」を読む 32

荒馬使ひ

保固傳には、村井の事を天成の仲裁役として「油差」と書いているが、親身の間でも、時に油が切れると円満に行かぬことがある。90回の太平洋横断の旅は米国、日本双方の油差の為である。村井は紐育店に関西貿易会社の手塚國一を抜擢した。米国人仲間の最初のセールスマンとして大いに鳴らした辣腕家である。しかしビジネスマンとしての腕はあるが、酒も飲めば道楽の味も知っている。流石に東京でも多少の不安があったが、森村は「米国の店は村井君の采配に一任してある。全権の村井君が自分の責任において手塚を入れるという以上、日本から容喙する限りではあるまい」との一言で事は決した。
だが森村組に入った手塚はお眼鏡にかない、村井の伯楽の下にいよいよ驥足を伸ばしたが、不幸早世して村井の後継者となるには至らなかった。
手塚に次いで同じ関西貿易から引き抜かれたのが、優秀な事務家の地主延之助である。
昭和10年1月村井が最後の在米中、日本の地主に寄せた手紙に、
(前略)私も余り長く日本へ洋行しませぬ故、大分をくれて來ました。飯野君御歸朝の頃妻の具合が余り悪くなければ御同行したいと思ふて居ります。色々小生の事も御心配被下難有奉存候。尚此後も何卒宜しく願ひます。ドーモ自分の事は自分に出来にくいものです故。飯野君や法華津君と御相談の上、死後諸君に御迷惑を多くかけぬ様、チャンと君の明静なる頭を用いて整理を甘くやつて下さい。私の最も短所が君の長所である故、御三人にて今度帰りたらば、コヽへサインをせよと云ふ位にして置いて下さい。(後略)
肚を割って盲判をするという信任ぶりで、これは無論荒馬型ではない良馬の方である。
併し何と云っても荒馬使いの村井に出色の傑作は、米人チャールズカイザーを関西貿易から引抜いたことに留めが刺される。
最初は簿記方であれば役に立つが販売員では自信がないと、躊躇したが懇々の勧めで漸く転職を承諾した。森村組に来てから追々累進して高給取りになったが、又実際その値打ちがあるから仕方がない。(中略)
ワナメーカーでもマーシャル、フヰルドでも彼が顔を出しさへすれば先方の要求も好みも一切心得て居るから、別に頭を下げずとも商談は容易にできる。詰り売る方と買う方を同時に一人で務めることになるから、商売も此処まで来ると理想的である。
そうして今日米国における新しい商人道はこれでなくては繁昌しないと云う時代に進みつつあるのである。
同時に森村翁が売る方と買う御得意と双方で満足し、共に喜ぶのでなければ真の商売ではないと、森村組の憲法に定めた根本精神が、たまたま米店に於ける此の米人セールスマンに依って、無意識に実行されたものである。
千里の俊足は名騎手の下でなければ駈けない。此の駿馬を見事に乗りこなして、羊の如く従順に鳩の如く悦服させたのが、英語は下手、挙動は野人丸出しの村井その人であるから、天下の珍と云わざるを得ない。

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人間は大なり小なリおのおの何かの働きをするものである。そうして其働いた効果が何処かに殘つて後世に伝わってゆく。それで人間には死がない。大なれば大きく生き、小なれば小さく生きる。森村さんや豊さんは現に今も生きて事業の上に吾々と共に居られる。是が僕の生命観だ。

(村井の感想録)