クローデル姉弟と吉次郎の奇縁

昭和2年2月25日太平洋上の「これあ丸」甲板で100名程の記念写真に、吉次郎とポール・クローデルが映っている。この写真は吉田高等学校「吉田三傑資料室」の新聞記事に載っているもの。記事には19世紀フランスの女流彫刻家カミーユ・クローデルの弟で、詩人であり外交官で駐日大使も務めたポール・クローデルの直筆のサインや写真が大洲市の高井三四子さん(吉次郎孫娘)に現存することが分かった、とある。
平成8年11月に愛媛新聞創刊120周年記念として「カミーユ・クローデル展」が愛媛県立美術館で開催された。その折に三四子さんは吉次郎の遺品を資料として追加展示した。
祖父・吉次郎は欧米視察の往路船上で、帰国中の元駐日大使ポールと意気投合し、詩人ポールが詠んだポエムを太平洋渡る間に国訳して過ごした。
 西の岸東の岸に咲く花のよろずよかけてあせずもあらなむ
 日の本の御空仰げばただ一つこがねかがやく星の影見ゆ

三四子さんは「もともと見に行くつもりでしたが、不思議な縁のおかげでなおさら楽しみ」と声を弾ませていたという。
更に不思議な縁は、吉次郎は1934年2月23日亡くなったが、その20年後1955年2月23日ポールが亡くなっている。命日が同じというのもまた縁である。
この頃になると、吉田高等学校の校門脇にある旧吉次郎邸跡の紅梅が雅やかな花を咲かせる。

昭和18年の秋、パリのあるパーティでのポール・クローデルのスピーチ
「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。
   それは日本人です。彼らは貧しい。しかし、高貴である。」



吉次郎ポール.JPG 直