清家吉次郎の国会活動(荒木陸相に質問)

昭和7年の第62回帝国議会衆議院は、清家吉次郎にとって大事な政治活動の場となった。
先ずは、予算委員会において清家吉次郎は年長者のため、委員長選挙の投票管理者となってその場を仕切り、大口喜六を委員長に指名した。
この時代は軍部の台頭期で5.15事件がこの国会開催の直前に起こり、世の中は騒然としていた。
6月8日の予算委員会で吉次郎は大口委員長に「私も陸軍大臣に質問いたしたいと思いますが……」と手を挙げた。

「私は口が暴いので、どうも陸軍大臣に敵対行為でもするように聴取られましては甚だ心外でありますが、実は私も是でも軍事功労者として賞揚をせられた者で、国軍と国民との間に立ちましてお互いに諒解をし、助合をするということは、常に念慮を捨てない男であります」と前置きし、今回起きた凶変の原因につき新聞報道の真意を聞いている。また荒木貞夫陸軍大臣が留任になったことについて、長々と論じ質している。
「色々陸軍大臣の御考えにつきましては、度々新聞に現れすぎるかも知れませんが、残念ながら国民は皆気を悪くしております、先日の本会議に於きましても、海軍大臣は盛んに拍手に送られましたけれども、御気の毒でありますが、陸軍大臣には拍手はそれこそ寂々寥々でありまして、国民の意思が率直に議場に現れたものと見なければならないのであります……」
「新聞で伝えているところを見ると、如何にも美辞麗句、美文を読むようで、六朝時代の対句を読むような気がしていけませぬ、平生の御演説でもそうですが、そういう事は非常に御損でありますので、是が為に我が軍部と国民とが別れ別れになっては遺憾千万でありますので、もう少し素直に私のような工合に御演説になっては如何でありますか……」
と、歯に衣着せない弁舌は硬骨漢・吉次郎の面目躍如である。

「沈みつ浮きつ」では、「清家は政友会所属の衆議院議員となって、気骨稜々たる風貌をあらわし、荒木大将の陸相時代、議院に於いてほとんど我が弟分にでも言うがごとき態度をもって『お前さんは、一体口が過ぎるよ』というようなことを言ってにらみつけたのは有名だ」
というように、亀三郎は独特の口調で吉次郎のことを語っている。

この委員会には、政府委員として後の粛軍演説で有名になる「齋藤隆夫」が内務政務次官で出席している。
これは国立国会図書館の「帝国議会会議録」で検索した速記の一部である。
まだ読んでいないが「無逸清家吉次郎伝」に〜氏の晩年を飾った第62回議会〜と題し記されている。