キンドル本を出版 (子規とあんやん)

9月19日は、正岡子規没後120年の「糸瓜忌」でした。くしくもこの日は、イギリス連邦王国女王・エリザベス二世の国葬がありました。

 がいな男の竹馬の友で、「吉田三傑」の清家吉次郎は、子規居士と縁があります。
明治33年、吉次郎は根岸の子規庵を訪れ、子規に俳句の手ほどきを受けます。
その2年後、南宇和郡視学(教育行政官)の吉次郎は、土佐柏島の水産学校を訪問しました。名物校長が粗末な校舎で生徒たちと寝食を共にし、愛情のこもった教育を目の当たりにして感動を受けました。早速、吉次郎は、匿名(せき生)で海南新聞(愛媛新聞)に投稿しました。新聞社の主筆柳原極堂は東京根岸の子規に新聞を送りました。
 病床の子規は、その記事に感動し「かような校長の下に教育せられたら楽しいことであろう」と新聞「日本」の随筆『病牀六尺』第1回に掲載しました。
永年、子規研究家は匿名の主を追いましたが、サッパリ分かりません。
しかし近年、それを解明した人が現れます。我が吉田中学の恩師・渡部先生です。先生は、親友の和田克司教授(故人)の遺品から「せき生は清家吉次郎である」という西予市での講演記録を見つけました。和田教授は子規研究の第一人者でした。
 吉次郎は、兄貴肌で豪放磊落な性格、みんなから親しまれ「吉田のあんやん」と呼ばれました。あんやんが「せ、き生」というペンネームを使った訳は、キンドルkindle)本、ペーパーバックに書いています。

 


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 このムービーは、令和元年、吉田中学同級会の後に、愛南町を訪れた時の動画です。
紫電改(戦闘機)を見るためでしたが、馬瀬山から何と、あんやんが行ったであろう「柏島」が見えました。明治35年のアクセスが不自由な時代にどうやって行ったのか、疑問でしたが目の前の柏島を見て「吉次郎は柏島を訪れた」と確信しました。

ブロガーは、この話を『子規とあんやん』という題で、Amazonより販売しました。(kindleは¥440、紙の本は¥990です。)
いずれもAmazonのアカウントがあれば、スマホ、パソコン、キンドル端末から購入できます。
 今後も新しいツール「電子書籍」で吉田三傑シリーズをアップしますので、乞うご期待ください。

  あんやんの俳句の師匠、子規居士・辞世の句……

  糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
  痰一斗糸瓜の水も間にあはず
  をとゝひのへちまの水も取らざりき

キンドル本の表紙