亀三郎と小林朝治

吉田三傑は吉田病院を建てた
亀三郎は腕のいい医者を吉田に招へいした
小林朝治は長野の人、金沢医大を卒業し眼科医長として昭和2年着任した
吉田病院には南予はもとより県外からも患者が殺到した
この人物は昭和6年職を辞すまで五十六景にのぼる吉田風物を版画として残した
これはその一つ「横堀」である
ブロガーは子供のころ横堀で遊んだ、この絵には想い出が一杯詰まっている
いま、この畔に亀三郎の像があるが、1葉の版画には数行の詩が詠われている

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白く乾いた櫻橋の上を
春の風と自動車の旗のゆきすぎた、
それにクロッスして
水温みては白い家鴨を流して
春への十字路、
警鐘塔は
白くゴォの手をあげて交通巡査。
橋の球燈は
あわて床屋の蟹のあわぶく、
川原にほされた傘は
春のパラソルへの未製品。
やがて
立春第一日、
この河原に鄢い倭人が集ひ來て、
春の水を
五彩にふきあげて五彩の噴水を
ポンプの煙火する。
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この画帳の最後はトランパーに掲載した「新桟橋」
旗の注釈に大阪商船会社、宇和島運輸とあるが
宇和島運輸は地元の有志が造った会社である
航路の独占で高運賃を享受する大阪商船への抵抗であったという

二句
いにしえの朝治描くは春の川
陽光の横堀川にボラ跳ねる

(吉田町文化協会発行)