「トランパー」出版まであと81日(喜佐雄門司に転勤)

喜佐雄は神戸から門司に転勤となった。門司港の巨大な船をみて驚いた。こんな船を動かす仕事は男の仕事だ!と奮い立った。門司には石原潔という見習人(店童の上)がいた。石原慎太郎裕次郎兄弟の親父である。喜佐雄の仕事は先ずは雑用、先輩のため質屋へも行った。勉強家の喜佐雄は夜間学校に喜んで通ったが毎晩遅くなり睡魔により風呂湯を何回も飲んだ。2年早く詰襟となった喜佐雄は本船係となり、無線がない時代で積み地変更でよく港外に行ってメガホンで叫んだ。
黄金の大正時代も欧州大戦が終わると戦後不況に陥った。船腹過剰となり運賃は暴落、船会社は一転不利な立場に立たされた。

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22−23日名古屋に行ったが、ブログ記事をミスで削除してしまった
復活)
同級会を大須観音近くのMの店でやった
昔、亀三郎が「日々広小路から大須観音あたりをブラブラした」とトランパーな時代を
自伝に書いている。奇しくも吉田高校の卒業生は亀三郎が遊んだ場所に引き寄せられた訳だ…
翌日は村井保固の「ノリタケの森」に行った、村井幼稚園の元・園児4名が見学した
名古屋の西側エリアが吉田三傑に関係あったとは不思議な縁である
同級生は村井が建てた幼稚園に通い、亀三郎が創った高校(女学校と統合)を卒業した
ありがたきかな先人たち
一句
秋の夜は大須観音千鳥足