「トランパー」出版まであと105日(第一次世界大戦が勃発)

【お知らせ】
ペンネーム「宮本しげる」を公表します
本のタイトル「トランパーの雄」を「トランパー」に変更し
2016年1月15日、愛媛新聞サービスセンターより発行
自費出版の趣旨)
ふるさとの新聞社から出版し「伊予吉田の海運偉人伝」を郷土の人々に広く知らしめたい
わが国の外航・内航海運を支える後進に読んでいただきたい
広く現代の若者に明治人の気概、開拓者スプリッツを伝えたい


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明治は終わり年号は大正となった。巷ではカチューシャの唄、ゴンドラの唄が流れていた。歌ったのはスター女優・松井須磨子で、時代は女性が社会進出するなど大正デモクラシーの夜明けであった。
さて、亀三郎45歳の働き盛りである。亀さんにとって大正が黄金の時代になるとはまだ知る由もないが、遠いヨーロッパで大変な事件が起きていた。大正3年(1914)6月28日、オーストリア皇太子が、サラエボを視察中にセルビア人の青年に、銃で暗殺される事件が起きた。これをきっかけに、第一次世界大戦が勃発し、ヨーロッパを中心に30か国以上が参戦した。
バルカン半島はヨーロッパの火薬庫だった。日本では遠い欧州の戦争でもあり、国内では大きな騒ぎにはなっていなかったが、亀三郎は欧州の雲行きが怪しいと感じていた。
早耳の亀さんは、鈴木商店の大番頭・金子直吉がロンドンマーケットで大量の鉄を買っているという情報を仕入れた。(これは戦争が長引くぞ!)と、ここは一番どんな船でもいい古いのなんの言っておれない、船をかき集めろ!と大号令を発した。更に、周囲の反対を押し切り1万トン級の船を発注した。田舎の吉田町にちなみ「吉田丸」と命名した。だが、船価が暴騰し売り手市場の中で、大正6年4月竣工後ただちにイタリア政府に売却した。濡れ手に粟だった、株の世界では遠い戦争は買であるがこの大戦は亀さんに巨額の富をもたらしたのである。
ちょうど時間となりました、ちょと一息また講演〜。
一句
遠い海吉田の船に桜かな