トランパー・亀三郎登場

久しぶりにトランパー・山下亀三郎の名前が地方紙に載った。新一万円札の渋澤栄一との機縁である。母校の吉田高校に渋沢が書いた石碑がある。「優美貞淑」と渋沢の自筆を彫っている。

大正8年、渋沢が亀三郎のために贈ったものと思われる。

校長はこの経緯を御存じなくて、生徒にその機縁を説明できない。

亀三郎と渋沢の縁は明治36年に遡る。それ以来、渋沢が92歳で亡くなるまで交流は続いたと、自伝口述書「沈みつ浮きつ」に書いている。

その経緯は本ブログの2016年に掲載しているので覗いてください。

(と云うと、『トランパー』が売れなくなる😢)

5年前、ブロガーは母校を訪ねた。「吉田三傑資料室」を見学する為だった。

その折、校庭に有った「優美貞淑」の石碑をカメラに収めていた。

すっかり忘れていたが、同級生が送ってくれた新聞記事を見て確認したのがこの写真である。昭和42年卒業以来の学校訪問だったので、この石碑は知らなかった。

元号の漢字二文字ではないが、明治の頃、高等女学校・建学精神に優美、貞淑の文字が出て来る。渋澤は亀三郎が大正6年、女学校を創設したので、その精神にのっとり四文字熟語を作って贈ったのであろう。(多分)

しかし一介のベンチャー起業者が、日本資本主義の父と呼ばれる渋沢と縁があったとは、小説にでもなるようなストーリーである。

1万円札に実業家を使うのは初めてだそうで、地下に眠る亀三郎は令和の時代になっても取り上げられては迷惑千万だろう。

ブロガーは愛媛県吉田町が誇る偉人を取上げてきたが、今の若者に「温故知新」の精神はピンとこないのではないだろうか。と、椿七十郎は思う。

 一句  椿咲き回顧の日々を如何にせん

 

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