がいな男  (35)二・二六事件が起きる

 「二・二六事件」で殺害された斎藤實内大臣は、亀三郎が初めて海運に手を染めた時に「喜佐方丸」を御用船に推してくれた恩人である。高橋是清大蔵大臣とは、浜町や木挽町の料亭で会ったが(いかにも武骨で無頓着で、苦労した所を少しも見せない人だった)と回想している。岡田啓介内閣総理大臣は危うく難を逃れたが、松尾総理秘書官が身代わりとなって死亡した。

 岡田啓介大正14年連合艦隊司令長官として宇和島に来たことがある。第一艦隊に高松宮殿下が海軍少尉として乗船されていた。がいな男は歓迎会のために帰省し、伊達侯爵らと宇和島城天守閣、天赦園で歓待した。名物の闘牛場では殿下に近寄り(勝った牛の持ち主がここに居りますが、分かりますか?)と尋ねると、殿下はある男が女性に祝儀を持って行ったところを見ており(分かっているよ、向こうに居る後家みたいな女だよ)と仰せられた。そこで宇和島出身の桑折少佐を介して殿下に(吉田町や喜佐方村にもご来駕賜るように)とお願いした。聴許された亀三郎は用意万端すべてを仕切り、吉田町から喜佐方村までの道路は歓迎する町村民の列が途切れるところはなかった。殿下の車は、筋の別荘「鯨御殿」に到着、兄の重次郎夫婦ら山下家総出で拝謁を賜った。殿下は、亀三郎の姉らが作った草餅を二つ食べ、吉田立間の鹿踊りを見て、別荘の前から艦隊差回しの船に乗って帰艦した。がいな男は、山下家として皇族を迎えたことは光栄なことで、終生忘れることはなかった。

内航海運新聞 2022/10/10