がいな男 (45) 東条内閣の顧問

 昭和18年3月、東條内閣は、数名の財界人を内閣顧問に任命し、軍需増産のため「行政査察使制」という政策を打ち出した。がいな男、山下亀三郎は、財界のそうそうたるメンバーと同様に、官民多数の随員を従え、重要産業の現場を視察した。
三菱重工社長の郷古潔にも内閣顧問の要請があった。郷古は岩手県奥州市の生まれ、先祖は仙台藩伊達氏に仕える藩医だった。戦後は、東條内閣顧問ゆえに戦犯容疑を受け、巣鴨刑務所に入所した。出所後、公職追放の処分を受けたが、誠実な人柄や経営能
力が戦後復興のために必要とされ(財界のご意見番)と呼ばれ様々な役職に就いた。
 ほかにも、日本製鐵社長の豊田貞次郎、王子製紙の社長を務め「製紙王」といわれた藤原銀次郎、元大蔵大臣、第15代日本銀行総裁等を歴任した結城豊太郎が、お国のために尽力した。
いずれも、がいな男が「河豚の会」に招待した財界人である。
一部の内閣顧問は、不幸にも、A級戦犯容疑で、巣鴨拘置所に収監されるが、すべて不起訴となっている。
もし、がいな男が存命なら、戦犯として巣鴨プリズンに入ったかも知れない。

 

内航海運新聞 2022/12/19