松山/宇和島/日吉の旅

春の乱、目的地変更は初めてだった
松山空港着陸と思いきや急にエンジン音が高くなり機体は浮上
アナウンスで(風が強く規定により着陸やりなおす)という
2回目は大丈夫と思いきやまたもや降りられない
三度目の正直で再チャレンジかと思ったが、
機長は(お客さんの安全を考え関西空港に変更します)という
やれやれ、30分後無事関空に降り立つが松山までレールで移動
チケット売り場で(日本人はこの列にお並び)というので待っていたが中々まわってこない
外人用は窓口多くはけている、国際空港は外人優先か?
自動売り場に回ってやっとチケットを購入した
客が交通費を立替、後日領収書を添付し請求するシステムとのこと
松山まで旅費15,000円と6時間のロス
春の嵐で予定はキャンセル、ああ疲れた…
翌日、松山道後の行事に出席、桜が咲き始めていた
列車からみる南予の桜は満開、郷里の「桜の小道」も満開だった
翌々日、有る取材で山奥の日吉にゆく
宇和島からバスで1時間、標高230メートルの渓谷に鬼北町日吉がある
高知との県境で隣は梼原町、昔この辺は山奥組や川筋の村と呼ばれ
清流の広見川四万十川につながる支流
日吉の喫茶店に入った、街の人の憩いの場だったが中学時代の同級生に縁がある方が居られ話に花が咲いた
(寛政5年吉田藩騒動)
幕藩制の頃、日吉村は伊達家・伊予吉田藩の領地だった、紙の原料こうぞと川の水が豊富で
百姓たちは紙漉きを副業としたが、吉田藩の紙専売制と重税に耐え兼ね
百姓の武左衛門が首謀者となり一揆を起した!
山奥組、広見川筋の百姓ら数千人が伊達宗家・宇和島藩領の八幡河原に集結
この紙騒動は吉田藩家老の安藤義太夫継明の切腹で鎮圧された
日吉村は斬首された武左衛門の偉功(すべての願いがかなった)を讃え石碑、御堂を造った
八幡神社の傍には安藤継明忠死(藩の存亡を救った)の石碑があり吉田町に安藤神社が建てられた
二首
川筋の桜の花に酔いしれて継明武左の心やいずこ
山路来て桜の花の広見川日吉の人のこころ和やか