2018年 ふるさと紀行 1 松山

自著『トランパー』にまつわる件で愛媛に帰省(平成30年3月20日〜22日)した。
海運王・山下亀三郎翁の盟友で日露戦の雄「秋山真之少将」生誕150年祭に参加。
常磐同郷会の理事長・平松昇氏は、
「真之少将は小田原山下家別邸で、たかが盲腸のため亡くなり真に残念至極、最後の言葉に(絶対にアメリカと戦うてはならない!)といった。
これは近くに住む山縣有朋大将に最後の説得談判にいった時の話で、太平洋戦まで僅か23年前の事だった」と語った。
真之翁の孫である青山よしゆき氏が挨拶、名字が異なるのは真之翁が次男を青山家に養子に出すとの約束があったそうである。
(つまり、次男の秋山固氏が青山芳得氏【海軍兵学校同期】の養子に入った)
「父は祖父が死ぬ前に実の父が真之と知り相当ショックだったそうで、後年それがトラウマとなった」と語った。
生誕祭には愛媛県知事代理、松山市長代理、海上自衛隊有志、東京から山下家の眞一郎氏(孫)他数名、
吉田町から山下重蔵氏、山下亀三郎翁偲ぶ会一同など多くの方々が出席された。
その後、献茶、琴の調べ、餅つきなどの行事があり、江田島海上自衛隊第一術科学校長・海将補 杉原泰樹氏の講演があった。
杉原氏は宇和島の生まれで幼少のころ和霊小学校に通った。
真之少将から学ぶべきこと
(天気晴朗なれど波高し)状況を簡潔に報告することは自衛隊は継承している
連合艦隊解散の辞(…勝って兜の緒を締めよ)平時戦時の区別なく職務に精励せよ!
勤務の姿勢、心構えに対する指導は踏襲している。
講師が最後に「秋山少将は戦術の賞味期限は2年、何時までも大艦主義では駄目だ、潜水艦、航空機の時代が来ると云われていた。その先見性が尤も大事ではないか」と締めくくった。
生誕祭はメディアも多く取材あり放映、新聞掲載された。
ブロガーの松山入りは飛行機ではなくJRだった。天気晴朗なれども風強しで我が航空機は関空に舞い降りた。
機長は2回着陸を試みたが着陸不能、安全運行規定の通り安全第一で大坂に向かったのは仕方なし。


山下亀三郎翁を偲ぶ会の面々)


(講演会プレゼン引用)
*真之は鯉の絵をよく描いた「鯉の滝のぼり」が坂の上の雲ミュージアムに展示されている