「沈みつ浮きつ」の速記者・近衛泰子女史

山下亀三郎翁の書「沈みつ浮きつ」は翁が思い浮かぶままを速記者に記録してもらったものである。
亀三郎は西園寺公の秘書・原田熊雄男爵の事務所で眉目秀麗なハイカラ婦人(自書による)を紹介された、速記の大家、近衛泰子女史である。
女史は近衛秀麿子爵の妻で、元豊後佐伯藩・毛利高範子爵の娘である。父の毛利子爵はドイツに留学し速記術を研究、大正12年に毛利式速記学校を設立し、子供らはみな速記術を習得した。泰子は原田熊雄に協力して「西園寺・原田日記」を口述筆記している。
亀三郎は泰子女史に会社、高輪宅、夏の軽井沢、冬の熱海へ来てもらい、後世の為にと波乱万丈の我が航跡を「沈みつ浮きつ」と題し書き残した。亀三郎が女史に注文をつけたのは、有りのままの一言一句を直さないということだった。
口述は昭和15年6月3日(人を語る)「岩崎久彌男とその帰省」から始まっているが、7月から9月までは軽井沢で過ごしており、この期間に口述は集中している。
最後の口述は昭和17年2月5日(宴会に就いて)「吉例の河豚会」で終わっている。
いま、「沈みつ浮きつ」を読んでいるとご本人の声が聞こえてきそうで不思議だ。この臨場感はいったい何なんだろう、翁は後世の人たちが読むことを計算して有りのままを伝えたかったのであろうか。

一句
爽風に昔を語る人たらし


(「沈みつ浮きつ」原本・吉田高校内、吉田三傑資料室より)

(本書の冒頭を飾る徳富蘇峰の書)